見出し画像

「バキ道外伝 やっぱり猪狩完至は永遠だよネ!」(週刊少年チャンピオン48号掲載)

1974年、昭和49年生まれの私は1980年代のプロレスブームを小学生の頃に体感している。
休み時間に教室の後ろの空きスペースに同級生を寝かせて(背中の下は上履きで歩く教室の床だ)、足4の字固めをやったり、キャメルクラッチをやったりする。
令和の時代にそんなことをやってたらすぐに親に連絡されそうだが、昭和は牧歌的で、放任だった。
暴力が今よりずっと身近で、マウンティングで他人より上にはなることはむしろ「良いこと」とされ、「喧嘩が強い」が褒め言葉になっていた時代、男子はみなどこかで自分の身体的強さと向き合わざるを得なかったと思う。

そんなタイミングにテレビで見られるプロレスは「身体的強さ」を測る上での格好の参考テキストだった。
人と戦い、人を殴り、技を決め、勝つ─。
喧嘩する時はこんな風にすればいいのか、と考える。
ただ、すぐに気がつく。
喧嘩だとこんなことやってられない。
喧嘩では相手に寝てもらえないし、喧嘩でキャメルクラッチはかけられない。
だから「プロレスは喧嘩のように見せているが、決して喧嘩ではない」ことをすぐ理解する。

たいがいの人はそこで終わるが、中にはその先にある「では喧嘩にも応用できるような、本当の身体的強さはいかにして得られるのか」を求める人もいる。
そういった人たちが学ぶのが「格闘技」だ。
喧嘩のような実戦で使える技術を学び、その上で「どちらが強いのか」という競技として自分の技量を磨く。
そこにはプロレスに必要な「見ている観客が面白がるような技術、演出」は含まれない。

アントニオ猪木はアメリカで生まれたスポーツエンターテイメントであるプロレスを「格闘技」として見せることに成功した、唯一のプロレスラーだ。
もともとプロレスには格闘技の要素もあるものの、そこだけにフィーチャーして「我々がやってるのは真剣勝負である」とプロモーションすることができたのは、ひとえに「それがアントニオ猪木だったから」に尽きる。
猪木はずっと「プロレスに市民権を」と訴え続けたが、「プロレスには市民権がない」という本人のコンプレックスとは別に猪木は身体的強さを求める男子の憧れになり、カリスマになっていった。
しかしプロレスは格闘技そのものではない。
格闘技的な部分もあるが、「シンプルにどちらの技量が上か」だけを競う競技では決してない。
そこに気がついた人間からは冷たい眼で見られ、否定され、罵倒された。
猪木のことを悪く言う人のほとんどは、人生のどこかで一時は猪木に憧れた人間だったのではないか。
猪木には熱狂的なフォロワーと過激に否定するアンチが常に付着していたが、実際にはその二つのグループは近接していて、時と場合によって立場を入れ換えたり、「好き」と「嫌い」を同時に抱えながらそれでも離れられずにいる、そんな人が多かったように思う。

『グラップラー刃牙』シリーズ、『餓狼伝』を描いていた漫画家の板垣恵介もおそらくその中の一人で、「闘ったら誰が強いのか、どちらが強いのか」をひたすら追及した自分の作品の中にたびたび猪木を模倣させた「猪狩完至」というキャラクターを登場させる。
「地上最強の生物」と言われる男を父に持ち、幼少期から格闘技の英才教育を受けて育った少年が母を殺した父に復讐するためにひたすら強くなろうとする、そんなドメスティックな格闘ストーリー漫画である「刃牙」の中で猪狩は異端のキャラクターとして登場する。
相手を煙に巻く、嘘をついて油断したところを攻撃する、自分に有利になるようプロモーションする、かと思えば試合では正面から真剣勝負をしてくる。
実際の「猪木」とこうだったらいいな、という架空の「猪木」がブレンドされた猪狩完至は作品の中で躍動し、刃牙を追い詰めるが、当然漫画の主人公は刃牙なので、猪狩が勝つことはない。
けれど勝者以上のインパクトを残して猪狩はストーリーからフェードアウトする。
「刃牙」という漫画を通して板垣はわかりやすく「プロレス」の構図を表現している。

そんな板垣が猪木逝去を受けて、今週の「少年チャンピオン」に猪狩完至を主人公にした読み切りの作品を発表している。
猪狩完至は病床のベッドで呻く。

「元気があれば…なんでもできる…」

実際の「猪木」と、こうであったらいいのに、という架空の「猪木」が再び交錯する。
病床の猪狩が「最後の仕掛け」を見せる今作は「こんなこと病人ができるわけがないだろ!」と、「こんなだったらよかったのにな…」の中間を漂っていて、浮遊した気持ちが落ち着く頃、「描いてくれてありがとう」という気持ちでいっぱいになる。

人生のまあまあ長い時間を過ぎてきた今、近い人や、濃く接してきた人たちにはどこかに「好き」の部分と「諦めた、冷めた」部分が混じっている。
100%の「好き」だけではもう見られない。
その上で付き合ってるし、そういうものなんだろうと思っている。
板垣にとって猪木はきっとそういう人だったと思うし、私にとってもきっとそうだった。
もうすぐ猪木が亡くなって1か月になる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?