人生は『走馬灯を増やす作業』なのかもしれない。
先日、藤本美貴さんの動画を見ていた時のこと。
スタッフの女の子が「結婚式もしたいと思わないし、ウェディングドレスにもさほど興味がない」という話しをしていました。
その時に藤本さんが「一生に一度なんだから」と言っていて、そうは言ってもできない理由だってあるのになぁなんて思いながら見ていたたのです。
藤本さんが言っていたその理由が「だって人間て生まれた時から死に向かっていくじゃない。私、人生は走馬灯を増やす作業だと思っているからさ」と。
「走馬灯を増やす作業」とはなんとも面白い言い方ですよね。
忘れがちですが、確かに私たちは生まれた時から死に向かっている。
「当たり前の毎日」ってとても幸せだけれども、だんだんと薄れてきてその当たり前に気づけなくなってくることってありますよね。
そんな時に、この時はこんなことをしたなぁってターニングポイントがあったら思い返しやすいのかもしれません。
ふとそんな時に「やりたいことをやった」ということと、「やりたくないことをやらなかった」というのはどちらが幸福度が高いんだろうと思ったのです。
やりたいことをやったけど、それ以上に大変だったことってありませんか。
そのせいで「やりたいことはやってはみたけど、渋い記憶として残ってしまった」ということがあるので、そこのバランスってとても難しいなと思うのです。
私のキャパがおちょこの裏くらいしかないというのも大きな原因なのですけれども、自分でできることを越えてしまうとそこのバランスが崩れやすくなる気がします。
今は少しずつ余白と余裕が生まれてきて、私の小さなおちょこの裏のキャパでもできることが増えてきました。
ごちゃごちゃと考えてはしまうのですが、きっとやりたいことはやったほうが吉。
ただし、やりたくないことはなんなのかを知っておくのも大事。
過去に失敗したことを経験にして同じことを繰り返さないようにすることも重要なのだと思います。
才能なんてないかもしれないし、他の輝いてる人が羨ましく思う時もあります。
でもとりあえず今は、とにかくやってみる、それに合う環境を整える。
それをちみちみと亀のようなペースですがやっています。
焦ったりすることもあるけれど、その環境が整ったらいいなと夢見て。
目下、私の目標は首を治すということ。
これのせいでやりたいことができずでしょんぼりです。
いつか人生を振り返った時にどんなシーンを振り返るのでしょうね。
やりたいことをやっている日々なのか、やりたくないことをやっていない日々なのか。
答えはきっと自分自身の中にあって、答え合わせはもう少し先になるのかもしれない。
どちらにせよ、その思い出たちが子供の頃集めていた宝物のラムネのビー玉みたいにキラキラしているといいな。