純白のウェディングドレスと晩婚の私。
式場が無事に決まり、結婚式の準備が本格的にスタートしました。
私が契約した会場は、「パーソナルフィッテング」というどんな形のドレスが似合うのかを体験するというものがあったのです。
Aライン、プリンセスライン、マーメイドライン、あと一つなんだっけな…とにかくいろんな形や素材、色がありました。
レースも柔らかかったり固かったり、模様が大きかったり小さかったり。見てるだけで「ほぅ…」とため息が出るほど美しかったです。小物もキラキラのティアラや可愛らしいお花などたくさんありました。
正直、いつもならかなり抵抗感のあるものばかり。
キラキラしたものや可愛いものはもちろん大好きだけど、自分が着るとなったら話しは別。「こんなの自分には似合わない」と敬遠していたものばかりでした。
なんとなくウェディングドレスは若いうちに着れたほうがいいとずっと思っていて、だからなのかもういい歳だし純白のドレスを着ることに抵抗があるし勇気がいりました。
おずおずと言われるがままにフィッテングしていたのですが、着てみたら今までの自分のちっぽけな考えがポーンと吹き飛び、今の年齢に合う着方も素材も色も無数にあるということに気付いたのです。
私は結婚が遅かったことにとても劣等感がありました。
30代前半の結婚ラッシュがあった頃、自分はそういう相手すらいなかったこと、何か言われるのが嫌で親や親戚と会いずらかったこと、周りから理想が高いんじゃない?と言われてしまったこと。
30代半ばになると、私自身が欠陥品というレッテルを貼られてしまっているのではないかと鬱々とし、子供が欲しいなら早く結婚した方がいいよなんて言われたりしました。
女性にタイムリミットがあるのは百も承知で、でも相手ありきのことを自分一人でどうにかなる問題でもないし…とか、女性の価値を物件に例えられたりして、みんなどうせ築浅がいいよねなんて思ったりしました。
当時の私は本当にマイナス思考だったと思います。
彼氏がいる人や既婚者の人に「結婚だけがすべてじゃないよ」と励ましで言われることもすごく嫌で、その言葉は相手がいる人だからこそ出てくる言葉だと思っていたのです。(せっかく励ましてくれてるのに卑屈すぎぃ…!)もちろん結婚だけがすべてじゃないことは頭では理解していたけれど心が追いついていかない。この年齢で独りだということの世間体ばかりを気にして、しかもこれからパートナーに知り合えるかの確証もないことに怯え、仕事に追われながら老いていく自分を想像しては見えないどろどろの感情に押し潰されそうでした。
とにかく恥ずかしかったのです。
そして親に申し訳なかったのです。
今になって思えば本当に小さなことを気にしていたと思えるのですが、渦中は仕事を休職していたのも相まって笑っちゃうくらい苦しかったのです。
でも切り離して考えれば親は親の人生があるし、私は私の人生がありますしね。
振り返ってみても「この人は欠陥があるから結婚ができない」などとそんなことを誰かに対して全く思わない。みんな一生懸命で素敵で、来るべき時が来たらパートナーと巡り合うのだろうと思います。
もちろん一人で生きていくことを選ぶ人もきっといて、でもそれが恥ずかしいことだなんて一切ないですもんね。いろんな生き方があっていいのだと今は思えるのです。
あと女性に「タイムリミットがあるんだから子供のこと考えるなら…」とか言ってくるデリカシーのかけらもないような人の言葉に耳を傾ける必要もないと思います。
そんな人の言葉にいちいち傷つかなくていいですし、自分の人生は自分自身が歩んでいるのですから。おせっかいを通り越してデリカシーのない人とはこれを機に距離をとるのが吉です。
アラサーになってもアラフォーになってもアラフィフになっても将来永劫私たちは美しいのです。
だって毎日こんなに頑張って生きているのだから美しくないわけがない。
まずは自分自身が満たされること。
相手に満たしてもらうのではなく、自分で満たす。
それが本当に重要。
今もできているかと言われたら難しいのですが、ご機嫌を自分自身で取れるようになっていって、自分が「こうでありたい」と思える人生を歩んでいけたらいいなぁと思うのです。
フィッティングをしながらそんなことを考えていたのですが、細く見えるのが嬉しくてコルセットをがっつり締めてもらったら途中で体調が悪くなった私なのでした。とほほ。