人生は何事をもなさぬには余りに長いが、何事かをなすには余りに短い。
母方のおじいちゃんの命日で、両親がお墓参りに行っていました。
長野にお墓があるのですが、お寺の墓地みたいなところではなく、深い深い山奥にあってものすごく険しい坂道を登っていくんです。
幼かった頃は父や母におぶってもらっていたんですが、物心ついた時にはなんとなくこの坂道は自分で登らなきゃという気持ちに。
朝早くに「早くいかねぇと暑いからよぉ」とおじさんにたたき起こされて、よろよろと登っていました。
夏休みになると必ずお墓参りに行って、セミがミンミンと鳴く中、汗だくでその坂道を登る。
坂道の途中には茂みがあり、そこを見るたびに、虎が出てきそうだなと思う。
そう、山月記のあのシーンのように。
「人生は何事をもなさぬには余りに長いが、何事かをなすには余りに短い」
中島敦の「山月記」、これは李徴のセリフの一部です。
私は時々このセリフを思い出しては、繰り返し繰り返し心に留める。
詩人になるという夢にやぶれ、虎へと化けてしまった李徴という男。
どうも李徴と自分を重ねてしまうのです。
中島敦は肺の病気で33歳の若さで亡くなっていますが、ちょうど私もその頃肺を患って2年間ほど入退院を繰り返していたことがありました。
何故か夜になると鼻血が止まらなくなってしまって、「え…私さすがにやばくないか」と不安になる日々。
そんな眠れぬ夜に「山月記」を読み直したんですよね。
「人生は何事をもなさぬには余りに長いが、何事かをなすには余りに短い」
ぼろぼろと涙を流しながら読んだ記憶があります。
うまくいかなくて、私だって!私だって…!と心がささくれていたあの頃。
表現したくて、創作したくて、自分を認めてほしいと強く強く願っていました。
私の中にも李徴のような虎がいる。
夏のうだるような暑さの中、毎年この時期におじいちゃんのことを思い出し、生きることや自分の人生について考える。
実はおじいちゃん、誕生日と命日が同じなんです。
生まれた日と亡くなる日が同じってすごい巡り合わせだなぁと。
今年は自分にとって大きな決断が多かったですが、来年の今頃は何をしているんだろう。
その決断が良い方向になるように自分自身が成長していけたら。
まだまだ私は夢半ばで、やりたいことをやれる人生にしたいと未だに思っているんです。
私の心の中にはいつも虎がいて、夢は消え入りそうになりながらも、その虎のおかげで色は褪せていないのかもしれません。
牙をむいてしまうこともあるけれど、折り合いをつけながらうまく付き合っていきたいと思うのでした。