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わがままに、生きる。

「わがまま」という言葉について考えてみた。

その言葉には「他人を無視する」「自己中心的」というネガティブなイメージがつきまとっていて、「あの人、わがままだよね」なんて悪い意味で使われることが多い。

まさに「自分の欲求や気持ちを優先すること」だと思うのだけれど、最近になって、むしろ現代社会ではこの「わがままさ」が大事になってきているんじゃないかと思ったのだ。



現代人はみんな忙しくて疲れていて、それでもわがままを言うことができずに不満が溜まっているイメージがある。

誰かのために動くのが当たり前だと思っていたけれど、気づいたら、肝心の自分が息切れしていることが多々あって。
周りの期待や空気を読みすぎてしまう日もあって。
そんな日々が「癖」になって自分にまとわりついてしまうのだ。



ちょっとしたわがままは、そんな忙しい日々の中で自分の心を守る行動なのかもしれない。便利さや選択肢が増えたからこそできる、小さな抵抗や自己満足のようなもの。

とは言っても、わがまま自体は度を越すと、時に他人を困らせる場合もある。それがいきすぎると自己中心的になり、相手の信頼を失うことも。

でも、自分の意思を尊重しつつ、相手も大切にすることは「わがまま」というより、「自己表現」なのかもしれないと思うのだ。

「わがまま(自分のまま)」=「私らしくいること」と再定義できたら、自分のことも相手のことももっと大切にできるはず。

だから、わがままは自分を見失わないための小さな習慣。自分の中の声に耳を傾け、その声を少しずつ形にしていくこと。それが「健全なわがまま」であり「自己表現」なのかもしれない。



自己表現は、自分を大切にするための「ちょっとした反乱」。そのちょっとした反乱は、「自分のためのささやかな革命」。小さくても、その瞬間、自分を取り戻せる感覚を持つ。

本当にささやかで誰かを困らせるわけでもない。
けど、自分の中の「これだけは譲れない」を満たす行動。

こういう小さな小さな自己表現が、忙しい日常をちょっとだけ楽にしてくれるんだと思うのだ。


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