セラピストの国語辞典6〜「怠け癖」
「自分には怠け癖があるんで」とおっしゃる方はけっこういらっしゃいます。それを「直したい」(「治したい」ではなさそう)という思いでご相談にいらっしゃったのだとは思いますが、それはわかるようでわからないような気がいたします。一体、誰のお話をお聴きしているのだろう、という疑問がしばしば私には起こるのです。そこで、今回はこの「怠け癖」という言葉を取り上げてみたいと思います。
「怠け癖」があるのだと自ら言うからには、怠けている間しっかりちゃっかり休めているのか、好きなことをできているのか、ということを聞いていきますと、そうでもない。「怠けて」いる間も、そんな自分への後ろめたさや、何もできない自分への呪詛を反芻しながら悶々としているようなのです。
それもそのはず。「怠ける」という言葉を辞書で引いてみますと、「すべきことをしない」、「働かない」、「ずるける」などといった意味が出てきて、まあそれはそれは、「怠けている」とされている人への非難に満ちているわけです。こうした意味合いを自分で自分に対して向けているのですから、とてもゆったり休んでいる気持ちにはなれないでしょう。
この辞書的な意味からもおわかりのように、「怠ける」という言葉は本来、「怠けている」とされる人に向けて第三者が語る言葉なのです。つまり、「自分には怠け癖があるので」と自ら言っている人というのは、この第三者からの非難を取り込んで、自分を侮蔑してしまっていると考えられます。
これが、私が冒頭でお話した疑問への答えに繋がります。誰のお話をお聴きしているのかと言えば、クライエント本人というよりは、クライエントを「あんたは怠け癖がある」と非難してきたであろう誰かの話を聴いているのです。クライエントはいわば、自分の話をしているつもりが、その第三者の代弁をしてしまっているわけです。それで、「直したい」という表記になるわけです。それはもう少し厳密にいえば、「コイツの根性を叩き直してやってください!」という誰かさんの声ということになるでしょう。
怠けようと思って怠ける人はあまりいません。それは、先ほどご提示した「怠ける」の辞書的な意味からしても、困難なことがわかります。というのも、「怠ける」には非難や侮蔑の意味が込められているからです。一方、「怠けている」とされる人に対する周囲の評価は「ずる休み」に近いものでしょう。つまり、楽をしていると思われているわけです。一般的に言って、自分に侮蔑を向けながら、楽な気持ちでいることは困難です。したがって、怠けようと思って怠けることは実はほとんど不可能なのです。
もちろん、自分から「いやー、私もけっこう怠けてますよー」と言う人がいることは知っています。しかし、こういう表現は実のところ、人間は不完全であることを受け入れてしまえばけっこう楽に生きられますよ、といった洞察を伝えるために、あえて「自分も不完全である」という自虐的な表現を使っているということでしょう。あるいは、無意味なルールに縛られずに自分のペースでリラックスしてやっていける能力を他者から妬まれないように、予防線として「怠け」という自虐的表現を入れているという場合もあるかもしれません。いずれにせよ、こういう自虐的な言い方をあえてしている人というのは、本気で自分は「怠けている」とは思っていないのではないでしょうか(実験として、こういう人に「確かにあなたは怠けていますね。ちゃんと働いてください」と言ってみれば、彼らが本気で怠けているとは思っていないことがわかるでしょう。思考実験に留めておいた方が賢明ですが・・)。
このように、「いやー、怠けちゃってー」と言いながら平気でリラックスしている人と、「怠け癖があります」と言って相談に来られる人とでは、同じ言葉を使っていても意味がだいぶ違うようです。ですから、前者から後者へ「いいじゃないですか、怠けても」と言ってみても慰めにはなりません。また、後者から前者を見て「自分はなんでもネガティブに考えてしまう」と思ったところで自責の上塗りをするだけです。前者の人は「怠け」という本来ネガティブなものをポジティブに変える能力を持っているわけではなく、「周りに左右されずに自分の時間を楽しめる」という元々ポジティブなことを「怠け」という言葉でオブラートに包んで言っているだけなのです。「怠け」というのは本来的に非難するような意味を持っているわけですから、その元々の意味で「自分は怠けてる」と思ったら、ネガティブになるのが自然です。
問題は、必然的にネガティブになってしまうような自己評価をわざわざ自分に向けているのはなぜなのか、ということです。誰それから怠けていると思われているだろうという状況理解と、自分の行動の意味や理由を自分なりに考えることは、本来は別です。しかし、この区別が曖昧になって、誰それから怠けていると思われている=自分は怠けている、ということになってしまうのかもしれません。つまり、さきほど述べましたように、他人からの非難を自分に取り込んでしまった状態です。
では、これを分析セラピーにおいて「治す」としたらどうなるか。答えは一つではないでしょうが、もしかすると、「怠け癖を直す(正確には「直せ!」か)」と言っている自分の中から、「お前は怠けている」という誰かさんの声を聞き分け、そこから尊厳を持つ自分を救い出し、「怠けている」とされていることの自分なりの意味を探求していくということになるかもしれません。端的に言えば、「自分は怠けてなどいない」ということを発見することだと言えるかもしれませんね。
(元記事投稿日2023年10月12日)