観覧車
私が経営している会社は、社員10人ほどの小さな自動車販売店だが、大手企業に真似てユニークな休暇制度を採用した。その名も「課題解決休暇」。ボランティアや地域活動に勤しむために設けた休暇である。活動証明など厳密なルール設定はしていないが、休暇の後、レポート提出を義務づけた。その中で、大変興味深いレポートがあったので、ここに紹介する。
社長から休暇制度の説明を受けたとき、「課題解決」というこの休暇のテーマを私なりに解釈し、何をすべきか熟考しました。あらゆる選択肢を考えた上で、出した答えが〝父と遊園地に行く〟ということでした。ごく個人的なことにこの休暇を使用することになり、心苦しいのですが私には「この課題」を解決しなければならない、事情があったのです。
父の中から私という存在が消えつつありました。脳腫瘍を患いその影響で記憶障害の症状が出始めていたのです。地元で手広く事業を営んでいた父の面影はなく、歩く姿もおぼつかない。視線も焦点が定まらず、いつも夢を見ているような表情を浮かべています。そんな父を遊園地に連れ出したのです。目的は、観覧車に乗ることでした。観覧車は忙しかった父とのわずかな思い出の一つだったのです。そこで私は父と決別する。そうです。私にとっての課題解決とは、父との決別、だったのです。
「覚えてる? 家族みんなでこの観覧車に乗った」
ゴンドラに乗り込んでほどなくして私は父に問いかけましたが、父は答えることなく窓の外をぼんやり見つめていました。
「僕は、父さんのひざの上に腰掛け、この風景を見た」
視界を遮っていた木々はゴンドラが上昇するごとに消えていき、次第に街の俯瞰が浮かび上がってきました。
「私も、長いことこの街に住んでいましてね」
こちらに視線を送ることもなく、父がぼんやりとつぶやきました。その物言いは、息子に話しかけるものではなく、独り言のようでした。父はなおも続けます。
「母一人、子一人。貧乏から抜け出すために頼った男は、財はあったが心はなかった。私が反抗的な態度を取ると、柱にくくりつけ一晩中棒で叩いた」
父の瞳からは、大粒の涙がこぼれていました。
「大変な経験をされているんですね」
私が同調するようにうなずくと、父は握り拳を作り、熱を帯びた口調で語った。
「ずっと、抜け出したい。這い上がってやる、そればかり考えてきた。そうやってのし上がってきた」
ゴンドラは頂天に差し掛かろうとしたとき、突風でゴンドラが大きく揺れました。父は怯え、窓の手すりにしがみつきました。
「幸せでしたか?」
私は立ち上がり、父を見下ろしながら言いました。父は相変わらず怯えるように私を見ていました。
「あなたはそのつらい過去を、結局、消化することは出来なかった。どれだけ社会的に成功しても、心の中に渦巻いている怒りや恨みを拭うことは出来なかった」
「何様のつもりだ!」
ついに本性を現した父が、牙をむくように私を睨めつけました。
「そうして家族を威圧し、制圧し、支配してきた。時に、暴言で、時に暴力で」
「しつけだよ。あの頃の親なら、誰でもやっていた」
「時代のせいにしないでください。どの時代でも、あなたがしたことは虐待です」
〝虐待〟なんて言葉、使いたくはありませんでした。使ってしまったら、自分自身も認めてしまうことになるから。どれだけ叩かれても、父が好きでした。父が穏やかだったあの日の観覧車。いつまでも回っていればいいのに、と節に願いました。でも、15分経てば夢から覚めたようにゴンドラから降りなければならない。父の記憶が消える前に、今こそはっきりさせければなりませんでした。あれは虐待だと。
「愛していた。私なりに。だけど、愛し方がわからなかった」
父は言いました。
「ありがとうございました。さようなら」
私は深々と頭を下げましたが、父は再び定まらない視点を窓外に向けていました。間もなく、ゴンドラは地上へと降りていきます。
来月、私にも子どもが産まれます。
終わり