婚活の果て
幾度となく通い詰めた婚活パーティ。思えばいい女はだいたサクラだった。たいがいクズを掴まされて、逃げ帰るばかり。それでも、こんな日がくるんじゃないかと夢見て、あきらめずに参加し続けた甲斐があった。理想の女と念願のカップル成立。それが愛子だ。
この機会を逃してなるものか。オレはパーティの後、死ぬほど無理して四つ星レストランに愛子を誘った。すると、愛子はいきなり、バッグから婚姻届を出してオレに迫った。
「あなたと結婚しようと思うの」
おいおい…ここは正直に言うしかない。
「オレ、金ないよ。ちょっと禿げてるし、お腹だってブヨブヨ」
自分で言ってて悲しくなるけど、それは事実だ。愛子は、ワイングラスをしなやかに傾けながら、眉一つ動かさず言った。
「分かってないのね。私はもう決めたんだから、あとは、あなたがどうしたいかってことでしょ」
悪くない。こういう強引なところ。自慢じゃないが、オレは自他共に認めるMだ。ハイヒールで踏みつけにされて、「ごめんなさい」と叫ぶ夢をどれほど見てきたことか。だが、オレだってそんなにバカじゃない。
「だけど、お互いまだ知り合ったばかりだし、結婚というのは早い。まずはおつきあいを」
「あなたは人生が永遠に続くと思っているようね。残念ながら人生なんて、いつ終わるかわからないのよ」
「そんな…オレ、まだ若いし、健康だし」
「バカね。クルマに轢かれて、おせんべいみたいにぺちゃんこになるかもしれないじゃない」
「ならないでしょ」
オレは鼻で笑った。
「私が欲しいのはイエスかノーなの。それ以外の選択肢はいらないわ」
ミディアムレアの血の滴るステーキを不適に頬張ると、再び愛子は婚姻届を突き出した。オレは、愛子の署名捺印がされている婚姻届を手に取る。
何かの詐欺かも知れない。美人局だ。これからってところでヤクザだかチンピラだかが現れるんだ。でも、待てよ。オレみたいに金のないヤツを騙してどうなる。取られる物など何一つないだろう。結婚すりゃ、とりあえず、この女を抱ける。戸籍なんかちょっと汚れたってかまうもんか。ちょろっと書いてしまえばいいんだ。
「どうなの?」
グルグルと心の葛藤が渦巻いているときに、愛子は鋭く迫った。「ああ…」オレは思わず吐息を漏らした。踏みつけにされたのだ。愛子の鋭い言葉のヒールで、オレの心は踏みつけにされたのだ。ひとりでに手が動いていた。婚姻届の欄はオレの名前で埋まっていく。一文字一文字。全て書き終えたとき、オレは愛子を征服したんだという思いに駆られた。
「おめでとうございます!」
店員らしき男が、クラッカーを鳴らす。店内にウエディングソングが流れる。そっと、愛子がオレの手を取る。ふと見ると、愛子はウエディングドレスを着ている。
「何だよこれ?」
オレは、いつの間にかタキシードを着ていて、二人の前にはバージンロードが広がっている。夢だ。間違いなくこれは夢だ。確信した。まぁ、あるわけないよな。こんないい女が。案の定、遠くから目覚まし時計のベルの音が聞こえる。はいはい、起きますよ。
オレは目覚めた。悪くない夢だった。思い出しふっと笑ってしまう。
「起きた?」
そこには、エプロン姿の愛子がいた。
どうして、この女がいるのだ。あれは、夢ではなかったのか。思わず詰め寄ろうと立ち上がる…ん? 起き上がろうとしたが起き上がることができない。見ると、オレの体は包帯だらけじゃないか。
「まだ、記憶が混濁してるみたいね。覚えてないのも無理ないわ。あなた、ぺちゃんこのおせんべいみたいにクルマに押しつぶされたのよ。生きているのが不思議なくらい」
愛子は腕組みをしてオレを見下ろしていた。
「オレが、交通事故に…」
愛子の分厚い唇が薄気味悪い笑みを浮かべた。オレはあの唇に触れることが出来たのだろうか。この期に及んで、愛子への欲望が広がる。
「愛子…愛子…」
オレは、わずかに動く手をひたすら愛子に差し出した。その時である。
ガタン! 無遠慮に開けられたドアの音とともに、見知らぬ男が入ってきた。
「それで、今後のこと話したいんだけどね。保険金の分配のこととか」
入ってくるなり、男は唐突に言い放った。
そういうことか。たしかに、オレからむしり取れるのは、この肉体くらいだな。