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ハイエナ

築30年の湿った木造アパートの一室を開けると、わずかに死臭が漂った。若い作業員・工藤ヒカルが手を合わせる。オレは横目で冷ややかに見ながら、ずかずかと部屋に入った。「くだらねぇ」今更、手を合わせたところでどうなるってわけでもねぇのに。独り暮らしの老人が住んでいたにも関わらず小綺麗に片付けられている。これまで、ゴミ屋敷のようなカオスを何度も見てきたから、そうなっていないだけマシか。

「とにかく、金目のものを探せ。それ以外は後でいい」

 ヒカルは分かってますよ、とばかりうなずくとさっさと作業を始めた。遺品整理屋を開業して5年が経つ。やりたくてやってる仕事じゃない。産業廃棄物の会社で働いていたときふいに思いつき、ノリではじめたら意外とハマった。独居老人が亡くなったあと、引き取り手のいなくなった荷物を引き取り売りさばく。この仕事の儲けを左右するのは、死人が金目のものを遺しているか否かにかかっている。血眼になり金になりそうなものを探る。しかし、今日の現場もしけてやがる。身寄りのない独居老人が一級品の着物や宝石を遺しているわけもなく、だいたいゴミくずばかりだ。ところが、押し入れを漁っていると、似つかわしくない望遠レンズ付きの一眼レフカメラがあった。思わぬ掘り出し物にほくそ笑んでいた時だった。ヒカルが何の気なしに開けた戸棚の扉から一枚の写真が落ちた。本来、写真など何の興味も持たないオレだったが、今回ばかりは違っていた。ヒカルを押しのけ、写真を手にするとワナワナと手が震えた。

「どうしたんですか?」

 不思議そうに尋ねるヒカルに答えることが出来ず固まった。その写真に写っていたのは小学生の頃、運動会で走っているオレの写真だったからだ。

 オレは理由も告げずヒカルを追いやり、独りになると夢中になって部屋を漁った。すると、戸棚からは無数の写真が出てくる。学芸会、入学式、成人式…どれも望遠で写した横顔のオレだ。思い当たるとしたら、答えは一つしかなかった。ここは、母の部屋だ。

オレには、母の記憶がない。母は自分を産んですぐに家を出た。母と連絡の取れる親戚を通して、中学生の時、オレは母に会おうとしたが、母から「会いたくない」と言われ実現しなかった。それ以来、母を探すことはなかった。

今にして思えば会わなくて良かったかもしれない。中学に入り、悪い仲間と遊ぶようになり、喧嘩に明け暮れた。傷害事件を起こして、少年院に入ったこともあった。仕事は何をしても、長続きしなかった。行き着いたのは、遺品の中から金目のものを売りさばくハイエナのような仕事。母は、どんな思いでファインダー越しにオレを見てきたんだろう。失望か、怒りか、それとも、そばに居られなかったことへの悔恨か。命を閉じた今、その思いを聞くことは永遠に出来ない。

「お母さん」

 無意識にその言葉が口から漏れた。心の中で何度も叫んだが、今、声に出して音になると届かないむなしさが心底響く。オレは写真に埋もれ、大の字になった。すると、手に写真とは違う手触りを感じた。見ると、真新しい無地の封筒があった。開けてみると、拙い文字で手紙がしたためられていた。

『万が一、あなたがこの手紙を開いていることを願って書いています』

 一文を読んで、オレはバッグに入れてあった遺品整理の依頼書を確認した。依頼主は、アパートの大家になっている。場合によっては、母は自分に遺品整理をさせるように頼んでいたのかもしれない。続きを読んだ。

『私は、あなたを捨てました。どんな理由があっても、その事実は消えません。だから、私はあなたに会うことを自分で禁じました。会う資格がないからです。遺品整理をしているあなたにお願いです。私の存在ごと全て処分してください。きれいさっぱり消してください。写真も全てです。私はあなたを捨てましたが、あなたの写真は捨てられませんでした。私の手で処分するのは不可能なのです。ですからお願いです。あなたの手で成仏させてください。私の人生は決して人様に自慢できるものではありませんでしたが、それなりに幸せでした』

 手紙を読み終えると、封筒から写真が一枚こぼれ落ちた。写真を拾い上げると、そこには、遺品整理の仕事をしている、オレの姿が映っていた。裏には、たった一行こんな言葉がかかれていた。

『誇りをもって生きよ』

 オレは、写真を戸棚に飾るように置き、ゆっくりと両手を合わせた。

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