吾輩はアダルトチルドレンである
正直自分の虐待の体験談を話すことで気がまぎれる人がいるとも思えないし、何かが変わるとも思えない。
それほどまでに1人の人間を変える事は難しいと思っている。
ただ心のどこかに存在している今まで出会った文章や映像が、自分という人間を形成する1部になっている事もまた確かな事である。
行動を起こさないと解らない事だらけであり、経験で勝手な予想を立て、それに支配された人間は多い。
まず何か行動してみるべきであると偉人は言う。
あなたは偉人だから言ったのか、言ったから偉人になったのか。
それを立証するにもまず行動してみなければならない訳だ。
自分がもう戻りたくないと思っている幼少期、過酷だったと思った何年かが、文字や言葉にすればほんの数分の出来事であり、伝わるはずがないのである。
そんなことは解っているけれど、それでも分かってもらいたいのがアダルトチルドレンなのだ。
つまり、今までの前置きは全て綺麗ごとであり、自分を称えて、憐れんで、慰めて欲しいという裏返しなのである。
ただ、一応言っておくが綺麗ごとだが嘘ではない。
人の目を幼少期に散々に気にしてきた我々は、誰よりもその事を理解し、誰よりも疑っている。
ここまで読んでわからない人は平和に生きてきた人であろう。
くだらないと思うかもしれない。
胸を張って言えるが、このとりとめのない文章こそが、まさにアダルトチルドレンなのだ。
他人が何を思おうが、日本でそれ程見かけない「ストリートチルドレン」として必死で生きた8年間が事実として本当にあったのだ。
自分がこれから書く事は綺麗ごとは書かず、素直に自分の見解を書くつもりだ。
綺麗ごとは書かないと書いている時点で綺麗ごとではあるのだが、嘘ではないのである。
そう、お気づきの通りアダルトチルドレンは面倒くさいのである。
何より年々面倒くさいと1番感じているのは自分自身なのだ。
これはそんな一アダルトチルドレンが書く体験談や個人的見解をただただ綴るnoteであると宣言する。