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人生を変える出逢いとは 63

アドバイスしない

あなたは、今までにどれだけの人生を変える出逢いをしてきましたか?
その人に出会うことで、感動したり喜んだり感動したり、反対もありますよね。傷を負ったり苦しみが増えたり…。
それでも人というのは、そんな人間関係の中で創り上げらえる人生なんだと最近つくづく感じています。

これはある尊敬する方との出会いの話です。
その方には全国から毎日のように新しい人たちが訪ね相談に来ていました。そして「訪ねて来る人にどの様に対応されるのですか?」と聞いてみたところ、答えにびっくりしたものです。それは自分から詮索して相手にこうしなさいとアドバイスをしないというのです。

『何もしないんです。その方のお話を伺うだけ。ただ一つ言えることは一緒に食べることね。おいしいと言って食べた時に心の扉が開いてどんどん中から出てくるから、空っぽになった時に新しいものが入ってくるんですよ。』

『聞くということが大事なの。ただ聞くのではなく、共感しながらね。本当にその人の心に置き換えて聞かないと、話す人も話せませんからね。受け入れられるということはどんなに大きい事かわからないですよ。そういう中で、話して話して放してその人が自分で道を見つけるんですね。』

尊敬するその人は、相手に自分で道を見つける能力があることを信頼していました。答えを教えることは、逆に自分で解決する機会を奪ってしまうかもしれないというのです。
優れたカウンセラーは自分の考えでクライアントを動かそうとはしません。
相手が自発的に物語を形成するのを邪魔しないで見守ります。何故なら、自分の物語を作ることがクライアントの生きる力になるからです。

『聞き手が問題を引き受けてしまうと、話し相手の問題解決能力を奪ってしまう。 そのためには不安・コンプレックス・焦り・怒り・困惑などの自分の感情を認識して判断も評価もせずに、ただただひたすら聞くこと。自分の感情に気づきそれにとらわれず、相手に集中して聞くことの二つ事を同時にしなくてはいけない。』

鈴木秀子「愛と癒しのコミニュオン」

シュタイナーは次のように言っています。
「だれかが意見を言う。ほかの人がそれを聞く時、ふつうは聞く人の心のなかに賛成、反対のどちらかの反応がうごめくものである。また多くの人たちは、ただちにその賛成や、とくに反対の意見を外に表したい気持ちにかられてしまうものである。しかしこの道の修行を志す人は、こうした反対や賛成の気分をすべて沈黙させなければならない。」
「人間は自分をまったく無にして他者の言葉を聞ける様になる。自分のこと、自分の意見や感じ方を完全に排除して、自分と正反対の意見がだされるとき、いやおよそひどいことがまかり通る時ですら、没批判的に聞き入る練習をしていくとしだいにその人は他者の本質と完全に融け合い、すっかりこれと合体する。相手の言葉を聞く事によって、相手の魂の中に入りこむ。』

シュタイナー「いかに超感覚的世界の認識を獲得するか」

『原則としては、頼まれないかぎり、相手の人生に口や手を出さない。頼まれればできるだけ援助する』よく陥りやすいのが保護、干渉 『頼まれているかどうかにはかかわりなく、自分の判断で、相手の人生に手や口をだす。』

アドラー心学会

『相手が話しだした時、私たちは相手の感情や問題を吸い込む。話し手は少なからず恐れや不安、混乱などを感じているが、聞き手もそうしたネガティブな感情に振り回されてしまうのである。そしてこの無意識の操作が聞き手を非受容の状態におとしいれてしまうのだ。つまり、人を受け入れられるか否かの能力の大部分は、私たちの心の状態にかかっているのだ。』

トマス・ゴードン「非受容の姿勢」

『モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問した、というわけではないのです。彼女はただじっと座って、注意ぶかく聞いているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、自分のどこにそんなものがひそんでいたかとお驚くような考えがすうっとうかびあがってくるのです。』

ミヒャエル・エンデ『モモ』

思考がエネルギーの流れを滞らせています。
相手をあるがままに受け入れ頭の中のおしゃべりを止めると、自他の境界が溶け出しエネルギーの共鳴が起きるのです。

カール・ロジャースの手法にアクティブ・リスニング(積極的傾聴)がありますが、カウンセリングのテクニックだけでは相手の心は開かないのだと感じました。

『一人一人の中に神は宿っている。だからその人の中にいる神との出会いを強く感じています。』
『“面倒くさい”というのが嫌いなんです。面倒くさいと言う気持ちの人が全てを壊していくなぁと見て感じてそう思ったんです。』

佐藤初女

大好きな方の一人として、佐藤初女さんがいます。
佐藤初女さんがお米の水加減をみる時は手にとって、じっとみます。お米と話をしているかのようです。それから、少し水を足されて炊き上げたお米は見事にふっくらと炊きあがります。 
ごはんを盛る時も お米が一粒一粒つぶれないように、ふんわりと 何回も丁寧にしゃもじをお茶碗にはこんでいました。

『私は食材を見て献立を考えるの、食材を命と考えたとき、活かすためにはどうすればいいのか、心をこめて慈しむように調理すればぜったい美味しくなるんですよ。おいしいと感じて食べたときそれが自分の命となるんですね。』

『「祈りうちに今を生きる」というのが今の私の心境なんですよ。今というのが一番大事で、5年後10年後の計画の為に進むのではなくて、今を生きる事によって先の道が示されてくるし、自分の目的に向かっているわけです。目的に重点を置いてやると足元が不安定になりますね。手を合わせての祈りも大切だけど、行動、生活そのものが祈り。こうしている間も私にすれば祈りですよ。具体的には出会う一人ひとりを大事にして小さいと思われる事も大切にしていくという事です。』

『苦しむときはとことん苦しみの。もうね苦しみきれなくて疲れるくらい。それくらい苦しんでそこから這い出すんですけど、這い出す時は自分の好きなものをやりはじめるの。そうするとそれに集中するでしょう。そうしている内に苦しむ事出来なくなっているから、順々に軽くなってくるの。そうするとまた次の苦しみが出てくるんだけど、それを繰り返しているわけですよ。それでも苦しみが苦しみで終わらないんです。苦しみが必ず喜びに変わっていく、喜びに向かうその途中であると感じています。だから逃げたりはしないんです。そう繰り返しているうちに段々強くなって来るの』

佐藤初女さんの言葉より

わたしはカウンセラーでも、心理学者でもありません。
それでも今までに何千人もの方の相談を受けてきました。
初女さんと出会ったことは、人としての大切なことを、人間の土台を学ばせていただいたように今では感じています。

人は誰かを変えることはできません。
なのに、誰かに期待したり、依存したりしてしまう。
それは、人生というものは人とのかかわりを立っては成り立たないからなんだと思います。
期待や依存が悪いのではなく、日々自分という命を磨くことなんだと思うのです。
丁寧に生きていれば、自分らしく生きていれば、自分に本当に必要な人に出会うはずです。自分が大切にしているものが、人と違って当たり前。だから誰かが尊敬する人に出会う必要もない。合わせることもないのです。
自分らしく自分にベクトルを向けているときに、絶妙なタイミングで自分に必要な人に出会います。そしてその人に出会ったときに、しっかり学び生長すること。
わたしはすくなくともこれだけで、還暦を迎えました。
有難いことに、つぶれそうになった時、ヤバい方向へ流れている時、そんな素敵な師匠や友に出会ってきました。
そしてその出会いに救われてきました。
少しは成長できたかな⁈と自負しています。

アドバイスをしない!
これは人に対してだけではなく、自分へもそうなのかもしれません。
答えを出そうと思考をするよりも、あるがままを感じきること。
ただじっとして静かな時間を持ち、今の自分を感じ切ることが大切なんだと思います。そうすれば、きっと時間はかかっても本当に思うことに出会うように思います。

現代社会では、一日にしている思考の数が6万回にもなるそうです。
これは平安時代の一年分を、今ではたった一日でしこうしているのです。時代の流れとは言え、こわいなぁ~と感じます。
ストレス社会、鬱問題、認知症、…
そもそも脳疲労かもしれませんね。

だからこそ、瞑想をしてみませんか?
自分を大切にするために。
大切な人を守るために。

https://note.com/inochinoki/n/n80830f08911e


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