何にでも物語がある
私は物語が好きだ。
本ではなく、人生の中での物語だ。
日々の暮らしの中に物語は沢山転がっている。
今日もまた一つ、物語を耳にした。
鳥取出身の大先輩は、70歳は超えられて今もお元気だ。
一人でどこにでも車をかっ飛ばして自由に生きている。
近いから行っておいでと勧められる。
「車で3時間だから、近いでしょ。」
私は近いと思うけど、大概の人は、びっくりする。
感覚は人それぞれだけど、自由な人ほど幅が広い。
ちょっとそこまでが、2〜3時間なのだ笑
その方が、京都の骨董市にちょっと行ってみたそうです。
愛知からだから、まぁご近所?(来るまで2時間ほど)
そこで、鳥取の骨董屋の方を紹介すると言われて、ご挨拶をしたそうです。
そうしたら、なんと、骨董屋さんは、その方のお母様に幼少の頃、大層お世話になり、その娘さんに会えたことに感激されて涙されたそうです。
その涙の物語は、幼少期の彼が両親の離婚で父親と暮らすことになり、家に帰っても母親がいないため暗くなる前で校庭にいる日々だったそうです。学校の前に住んでいた母親が、家に招き入れご飯を食べさせてあげていたそうです。
そして、鳥取に来られた時は、ぜひお立ち寄りくださいと言われて、京都の骨董市では、お別れしたそうです。
後日、鳥取の故郷へと帰られたその方は、京都でお会いした骨董屋さんを訪ねるのですが(骨董大好き人間さん)その骨董屋で、懐中時計を見つけだそうです。お着物を着られるその方は、ちょうど欲しいと思っていたので購入させて頂こうとしたら、かつてのお礼だと言ってプレゼントされたそうです。
その懐中時計を見るたびに、母を思い出して、自分の知らなかった母の姿をこの歳になって知るとは思わなかったと話されました。
お母様は、常々、恩送りのお話をされていたそうです。
受けた恩を次の誰かに恩送りする。それが、循環なのだと。
母の恩は、巡り巡って娘のところに帰ってきた。
私もそんな人間になりたいと思うのだ。
一つの時計の物語。