身体は正直 捻れと無意識層
体が捻れてきていることは、舞のお稽古をしている時に気がついたのだけど、たどって行ったら親指だってわかって、内に巻き込んでいる親指の付け根をゆっくり剥がすということを友人の息子の柔道整復師さんにお願いして、2ヶ月ほど接骨院通いをしていました。
が、なんと捻れは、肩甲骨にも、そして脚にも捻れがみられる。
脚の裏側が縮んできてて、ストレッチを毎日してても伸びなかったのは、脚の横側の筋肉の衰えと捻れが原因だったとは気がつきもせず、せっせとローラーでほぐしたり、ストレッチしたりしてました。
なんか、捻れたところにそのままアイロンかけてるようなもんだ。
なんともお恥ずかしい限りですが、見て見ぬふりなのか、認めたくないのか、遊び呆けていたせいか、はたまた、生きることを諦めているのか。
これでは、自分の体の崩れに気がつくはずがなく、筋肉は、落ちまくりです。
鍛えれば鍛えただけの体になっていた頃から、鍛えても現状維持のお年頃になって、そのうち、今までと同じ鍛え方だと下降線になるようになった。
なのに、なのに、うっかりサボって怠けていたら、こんな身体になってました。
たまには、プロの手を借りて、しっかりメンテナンスして、現状を把握しないとダメですね。
でも、捻れは癖です。
身体の癖でもあるし、心の癖、思考の癖。
現実を捻じ曲げてしまう癖があるのは、指摘されたことがあったけど、忘れていました。
あの頃からだとすると、5年ほどかな、ずいぶん、面倒くさいことしてるよね。
捻じ曲げずに生きてれば、今頃、ここには住んではいない。
今も引っ越しするする詐欺を重ねておりますが、そもそも、心の癖なのです。
移住したくて山にお家を借りたのに、頭では、移住したいと思っているのに、心は、そんなに遠くへ行ったら、皆んなに会えなくなって寂しすぎると執着なんかしちゃうもんだから、こちらで忙しくなってしまうという現実を自分で作ってしまう。
なんとも滑稽だ。
自宅は、もう引っ越しなさいというサインが出てるのに、どこかで執着してる。
執着してるのに、それが無意識なのだ。
そして、引っ越しするする詐欺になるのだ。
だけど、自宅まわりの空いてる最後の場所に、二階建ての建物が建ち、日の出の光が入らなくなったから、もう本当に引っ越しするのだと心に決める。それでも現実にもどると、面倒くささが先に立つ。
引っ越し好きだったのは、そのお家にどこか、気に入らないところがあるからだ。
不思議と、今までの家は、家の広さの割にどの家もキッチンが小さいのだ。
終の住処は、大きなキッチンにしようと決めている。
そして、朝陽と夕陽が入る家が条件なのだ。
山に行ってみて気がついたことがある。
朝の太陽が、違うのだ。
日の出のほんの数分のオレンジ色になる世界が現れないのだ。
山の間から太陽が見えた時には、すでにかなり昇っているから、オレンジ色には、ならないのだ。
だから、ずっと山には住めないなぁと思った。
まずは、身体の捻れを戻して、どこかにあるはずの終の住処を探すことにする。