意図的に世界への感度を下げて生きる方法

最近、よく感覚過敏やHSPの言葉をSNSとかで目にします。
これまで個々人が孤独に悩んでいた感覚に名称がついて、さらに多くの人が体験している、同じように生きているということを知れるのはSNSのいいところだなと思います。

私は今のところは、そこまで過敏ではないかなと思うのですが、生きづらい環境では意図的に世界への感度をごっそり下げて生きているなと思います。

友達と一緒にディズニーに行ったり、楽しいことをしているときは、まわりの風景はちゃんと見えているし、友達の表情も声も、まわりでどんな風に人々がうごめいているかもある程度認知しています。

けど、会社のオフィスでは、一気に視界は狭くなり、人の声も聞きずらくなり、視点もちょっとぼかして歩いています。(PCに向かって仕事をしているときは別にそんなことはない)

こういう時、これがいわゆる生存戦略か?と思います。無意識の。
本当は、オフィスにいるときもちゃんと見えて聞こえるのがいいんだろうなと思ったりもするのですが、そんなまともにいると8時間も耐えられない。耐えられたとしても、私のエネルギーゲージが枯渇してしまいます。

だから、いつもより感度を下げて、消費HPを減らす。
結構うまくいっているなと思います。

理想は、「気にしても無駄なことは気にしない」というように、その感度調整を繊細に行えることなのですが、いったんは。

時には感度をそのままにオフィスで過ごせることもあるのですがそれはたまたま調子がいい時で。リモートや在宅勤務は時間や物理的な自由度が高い働き方ですが、精神的にも、持ちうるバッテリー調整的にも、自由度の高い働き方だなと思います。

新型コロナウイルスの影響で、リモートワークの検討を余儀なくされている会社や後押しされている会社は多いと思いますが、弊社はそんなことはないようです。残念。

リモートや在宅勤務を行うにはいろいろハードルがありますが(セキュリティや、管理)、性善説に基づいて社員を見れるかどうかも重要だなと思います。

私は性善説を信じたい。性善説のほうが、生存率を上げる気がします。
あと無駄な工数が減ったりもする。

うーん。リモートワーク導入されないかなぁ。

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