メルマガ『いのちの授業 あの日から』(5号)
『子育ては、ともに育み合う』
私の子育ては、ほぼ全て淳子任せでした。
「景子ちゃんのお父さん、今日もいないの?」と、淳子はママ友にいつも言われていたそうです。
景子が発病すると、闘病が最優先の生活になりました。
康平は、私や淳子の実家に預けられました。「康ちゃん、今日はどこで泊まるの?」と寂しそうに尋ねました。病院のお見舞いから帰るときは、「お母さんといたい。お母さんがいい!」と、車の中でずっと泣き続けていました。
景子が旅立ったとき、景子の足を両手で握って、「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」と大きな涙を流し続けました。
康平が小学校一年生になったときのことです。テレビを観ていると、子どもが亡くなるシーンがありました。康平がポツリ言いました。「もしオレが死んだら、お父さんお母さん、お姉ちゃんのときよりもっと泣くよね。子どもいなくなっちゃうから。オレ、死ねないね…」。辛い体験の中で、大切なことを感じてくれていると思いました。
この頃、私も少しは「父親らしく」と、三つのことを躾として言いました。
挨拶をする、返事をする、履物を揃える。ある日、康平がニッコリと言いました。「お父さんもしないとね」と。すっかりお見通しでした。
大学は下宿生活になりました。
引っ越しから帰るとき、淳子が言いました。「康ちゃん、行っちゃったね」と涙をこぼしながら…。帰省したときには、そのとき感じたことなどを手紙に綴り、本と一緒に渡すようにしました。「お父さんが書いた本は読んだよ」と言われたときは、親ばか喜びでした。
就職が決まったとき、下宿にブラリと立ち寄りました。
部屋は荒廃といえども、これは想定内。スーツのズボンをみると、穴が二つ。タバコの火であけたとのこと。しかも、これで就活も。私「…」。康平「大丈夫、これで全部内定!」とノー天気笑顔。「親の顔がみたい。俺かぁ…」と目がくらみました。
そんな康平も父親に。「お父さん、白髪が増えたな」と言われます。
親となって三十年以上。もう親としてできる子育ては終わったようです。「景子ちゃん、康ちゃんが元気でいますように」。淳子はそう言って、雛人形と五月人形を毎年飾ります。最後、親はただ祈るだけなのかもしれません。
子育ては、ともに育み合う―。
親も子も、笑って、泣いて、喧嘩して、悩みながら、ともに成長していきます。子育てができる「人生のとき」は限られています。子育ては、「人生の幸せのとき」だったと後から思うものかもしれません。いっぱいの愛情を子どもに届けてあげてください。
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