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いのちの授業 あの日から(139号)

 今号は、朝日新聞記者の高橋美佐子さん、上野創さんご夫婦の物語です。
 文屋座・絵本「6さいのおよめさん」出版10周年記念会(3/22東京・オンライン)にご登壇です。ご一読賜れば幸いです。

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「ともに生きる」
(大人のための「いのちの授業」:致知出版社より)


 がん。26歳の彼が…。
 高橋美佐子さんの携帯電話が鳴った。恋人の上野創さんからだった。「ちょっとまずいことになっちゃったから、会って話すよ」。二人は、朝日新聞社横浜支局に勤める新聞記者同士だった。精巣に腫瘍が見つかったこと、明日入院で明後日手術になったことを告げられた。「大丈夫。私がついているから」と自然にその言葉が出た。
 
 手術が終わった夜、医師から病状の説明を受けた。
「肺への転移もあります。放っておけば半年もちません。相当悪い。以前なら、言葉は悪いが末期と…」。高橋さんには、ある気持ちが自然とわき起こってきた。「この人と結婚する」。上野さんが背負った大きな荷物を一緒に背負いたかった、とことんつき合いたいと思った。

 翌日、実家に戻って、両親に自分の決心を伝えた。
「もしかしたら治らないかもしれない。だけど結婚することにした」。親不孝をしている確信があった。母は涙でくしゃくしゃの笑顔で「おめでとう」と言い、父は「うん、うん。わかった。よかったね」と何度もうなずいてくれた。

 手術二日後、満面の笑顔で「結婚しよう」とプロポーズした。
上野さんは戸惑い、口ごもった。「いや……。そんな、もう少し落ちつてから」。あえて「嫌なの?」と意地悪そうに尋ねた。すると「嫌じゃないけど。本当にいいの?」と上野さんが言った。

 11月22日(いいふうふの日)に婚姻届を出した。
お互いの両親との初顔合わせは病院のロビーで。結婚記念写真に写る上野さんの服装は、上半身はワイシャツにジャケット、下はパジャマ、素足にサンダルだった。

 その後、治療、職場復帰、二度の再発をして約三年の時が過ぎていた。
一緒にいる時、仕事をしている時は平気だった。問題は独りになってから。「この先。どうなるのだろう」と考えると、怖さがどんどん膨らんでいく。泣きながら実家の母に電話をしたことも。上野さんが亡くなる夢も数えきれないほど見た。
 
しかし、結婚を後悔したことは一度もなかった。
人生はその人自身の足で歩んでいかなければならない。誰にも代わってもらえない。そんな当たり前のことが、日々、心に刻まれた。生きている、生きている、生きている。楽しさも、虚しさも、喜びも、逃げ出したくなっても、すべてがかけがえのない時間に感じた。

上野さんも「ごめん」と一度も言わなかった。
「彼女がいたことで、自分一人の命でもなければ、病気でもない。勝手に自分のいのちをあきらめてはいけない。それだけの決断をしてくれた人に、僕は死んじゃうから一人で生きていってと言えない」と思っていた。

 二人はお互いに支え支えられて歩んだ。上野さんは生還を果たした。
 あの病室でのプロポーズから二十年が過ぎた。「おかげさまで二人ともいまだに新聞記者を続けられています。今は夫と二人、限りある時間を大事に紡ぎ、人生を楽しみたいです。涙と祈りを体験したからこそ、そう思います」

ともに生きる―とは、
いのちに向き合う「苦楽」をともにすることです。涙こぼれる雨の日もあるけれど、きっと虹も出てくれます。


🔳文屋座・絵本「6さいのおよめさん」出版10周年記念会(3/22・東京)
講演(鈴木中人)、対談(高橋美佐子さん、上野創さん、鈴木中人)、茶話会を通じて、「いのちのご縁」を紡ぎます。絵本を全国の児童養護施設に寄付するプロジェクトにも取組みます。
〇10周年会の概要&お申込みは「文屋 公式サイト」参照
〇寄付本プロジェクト概要&お申込は「文屋 公式サイト」参照

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メルマガ「いのちの授業 あの日から」は、週2回(月、木曜日頃)、鈴木中人の著書&会報「いのちびと」&出会いなどからお届けします。*会報「いのちびと」は、1年/1500円で定期購読できます。
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写真「発病から1年後の結婚式」(会報「いのちびと」より)

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