メルマガ「いのちの授業 あの日から」(11号)
『ごめんねの思い』
(大人のための「いのち授業」より)
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小児がんが再再発した景子は、「余命数ヶ月」と告げられました。
冬の日、保育園で生活発表会がありました。保育園の先生がお手紙をくれて、発表会でする劇の台詞や合唱の歌詞を教えてくれました。景子と淳子は、病院の個室で練習して発表会に行きました。
いよいよ発表会、傘地蔵のナレーターや野菜売りをしてくれました。
淳子は、出番を待つ間、ちゃんと台詞が言えるかと心配な様子でした。景子の一生懸命な姿に、「景子ちゃん、一番上手だよ」と心の中で褒めてあげたそうです。発表会の後、やっぱり家に帰れずに病院に戻りました。
楽しかった発表会、寂しい病院に何か感じたのでしょう。その夜、景子はポツリ言いました。
「お母さん、ごめんね…。私が病気だから、ずっと病院にいなくちゃいけないね。お母さん、ごめんね…」。「ううん、景子ちゃんと一緒だから寂しくないよ」と淳子は微笑みながら応えました。そして、景子が寝た後、トイレでずっと泣き続けました。私はそれを聞いて、景子の寝顔に向かって謝りました。「景子ちゃん、ごめんね。いのちを救えず、ごめんね…」
夏の日、景子は旅立ちました。
火葬場でのことです。私の地元では、喪主が最後一人残り、棺を炉の中に入れます。私は、最後のお別れにと景子の顔を見ました。涙が、目から流れているのです。数分前まではありませんでした。たぶん分泌物でしょうか。でも確かに涙が。私はハンカチで涙を拭いてあげました。「景子ちゃん。ごめんね、ごめんね…」。私は心の中で繰り返しました。ただ涙が溢れて止まりませんでした。
二年十一カ月闘病して、景子は小さな白い箱になって帰ってきました。
三年後、私は体験したことを手記にしました。
発病から死別までのことを綴ったものです。三百冊ほどを印刷して、お世話になった方にお届けました。最後の三行に万感の思いを込めて、終わりとしました。
「景子ちゃん ごめんね…。景子ちゃん がんばったね…。景子ちゃん ありがとう…」
ごめんね―。
その思いは、申し訳ありません、許してください、とは違います。優しさに溢れ、心と心をつないでくれます。「優」しさ。「人」が「憂う」と綴ります。優しさは、涙を「ありがとう」にしてくれます―。
★写真は、絵本「6さいのおよめさんより」
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