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にやんこの恩返し
目覚まし時計が鳴り響く中、顔に柔らかくひんやりとしたものが触れた。モフモフした毛の感触も少しある。
「ご主人様、朝ごはんが出来ました」
まだ、半分夢の中なのだろう。朝ごはんを作ってくれる様な人間は自分には居ない。
「冷えない内に食べて下さると嬉しいです」
腕を伸ばして目覚まし時計を止め、寒さに耐えながら布団から出る。冬の布団は、他の季節以上に魅力的だ。
「ささ、ご飯とお味噌汁が出来ていますよ」
そう黒猫は言った。頬を抓る、痛い。夢では無い様だ。
ことの発端は、バレンタインデーが終わって安くなっていたチョコだ。安いからと大量に買ったので、手持ちの袋に収まらなかった。だが、わざわざ新しい袋を買うのも癪だった。だから、ポケットに入るチョコは半ば無理矢理詰めて持ち帰ろうとしたのだ。
その帰り道、うっかりチョコの箱を落としてしまった。それを拾おうとしたが、黒い猫に略奪された。冬の野良猫は生きるのに必死なのは分かる。だが、中身はチョコ。猫には毒にしかならない。
取り返したかったが、黒猫は直ぐに人間が通れはしない隙間に消えた。荷物が多かったのもあり、流石にチョコを食べはしないだろうと考えることにした。それから数日後、頼んでいた宅配便を受け取った時だった。黒猫がその隙を縫って侵入したのだ。
宅配業者に何故か謝られつつ、荷物を受け取る。それから、受け取った荷物を置いて、黒猫を捕まえようと振り返った時だった。
「先日は、食べ物を恵んで下さってありがとうございます。そのお礼がしたく参りました」
黒猫が、ごめん寝ポーズで床に居た。そして、その黒猫の尻には二本の尻尾。
「私、猫又になりたての身。元々のご主人は高齢の為に亡くなり、長年の上げ膳据え膳に慣れては狩りも上手く出来ず。ああ、自分はこのまま死ぬのだ。そう思っていた時でありました。天からご飯が降ってきたのは」
黒猫から声がする。しかも、滑舌が良い。
「私、思わず確保してしまいましたの。どうしても、何か食べたくって。そうしたら、人間の食べ物が美味しいって気付きましてね。ああ、こんな食べ物をくれた人には恩返しをしなければと」
黒猫が顔を上げた。
「そう考えて考えて。でも、中々その機会に恵まれず。ですが、今からでも恩返しをしたく」
黒猫の目がキラキラと輝いて見えた。しかし、自分の頭はどうにかしてしまったとしか思えない。
黒猫を摘まんで外に戻そうとした。すると、黒猫は部屋の奥に逃げ……人間に化けた。否、人間っぽくみせたい努力だけは感じられる姿に化けた。
二本足で立ち、手も人間のそれに似ている。しかし、爪は猫に近かった。また、顔だけは毛を減らしているのだが、腹や胸部は猫毛に覆われている。あと、ヒゲも生えたままだ。
「お待ち下さい。私、猫又になりたての身ではありますが、こうして会話は出来ます。それに、雑用なら出来ますの。ほら、この手で」
どうしよう、「手袋を買いに」を思い出す。あれは子狐が手袋を買う為に、手だけを店主に見せる話だけど。
「せめて、暖かくなるまでで良いのです。作ったご飯の残りで良いので、食べさせて下されば尚良しですの」
この猫又、居座る為に昔話の恩返し制度を利用しようとしているのだろうか? ともあれ、自主的に出て行く気は無いようだ。
「じゃあ、お掃除は出来る?」
試しに聞いてみた。すると、猫又は胸を張ってみせた。
「ええ、ええ。猫は奇麗好きな生き物ですから。いえ、もう私は猫又なんですけど、猫でいた期間の方が長いですからね」
猫又は人間形態をやめ、尻尾の片割れを掴んだ。そして、抜いた。それから、猫又は抜いた尻尾をはたきのような形に変えた。そして、それを部屋のアチコチで振る。
すると、埃だけでなく様々な汚れが消え去り、どんどん部屋は綺麗になった。猫又は、器用に窓を開けると、はたきのモサモサ部分を外に向ける。すると、モサモサ部分から何とも言えない色の粉が大気に溶けていった。
猫又は、窓を閉めるとはたきを尻尾に戻した。その後、尻尾の位置も戻した。
「どうですか?」
十分過ぎる位に綺麗になった。だが、猫を飼えるかと言えば……
「ああ、大丈夫ですよ。尻尾を抜いている時は、ご主人様以外には認識されないので。お掃除中に外部に見られることは無いです」
この猫又、心を読めるのか?
「窓を開ける猫は居ても、はたきを振る猫はそうそう居ませんからね。撮影でもされたらたまったもんしゃない」
この猫又、妙に人間世界に詳しそうだ。
「じゃあ、うちに君がいることは、誰にもバレなくて済むの?」
猫又は力一杯頷いた。
「はい。私、知っておりますの、この国はあまり動物に優しくないこと。動物を毛嫌いする人の多さで、動物好きが肩身の狭い思いをしていること」
この猫又は、何処からその知識を得たのだろうか。しかし、バレないとなれば追い出す理由が無くなった。後ろめたさが無くは無い。だが、こんなにも猫又がプレゼンテーションをしてくるのだ。追い出すのは酷だろう。
そんな訳で、雑用の出来る猫又を迎え入れたのだった。そして、猫又がこさえた朝食が並んだのである。事実は小説よりも奇なりとは、こう言うことなのだろう。
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