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第8夜 ドワーフの恋
「おお、ユッフィーよ!会いたかったのじゃ」
むにゅっ。
「この3年間、おぬしの肌の温もりを忘れたことはなかった」
もにゅもにゅ。
「みなさまが、見てますの」
夜の子和清水で、突然始まったメロドラマ。胸の谷間に顔をうずめられ、やや赤面しつつも。ユッフィーは相手をふりほどこうとはしなかった。ただ少し困った様子を見せながらも、相手の望むままにさせている。
野次馬たちの熱い視線が、青髪の小柄な少女の肌に突き刺さる。
「王女から離れなさい、このエロガキ」
まるで恋人の浮気現場を目撃したような…不潔なものを見るような視線を向けてくるミカ。男嫌いの気がある彼女でなくても、目のやり場に困る状況ではあるが。
しかし。ユッフィーは黙って、彼女を手で制した。
「なぜなの、王女…!」
ミカの表情が、悲しみとも嫉妬ともつかぬ色に染まる。握った拳は、わなわなとやり場のない怒りに震えている。
「ユッフィーさんの…元彼かな?」
軽い修羅場の雰囲気に、現在の「恋人ごっこ」の彼氏役・銑十郎も苦笑いを浮かべ、こめかみにマンガのような大粒の汗を流しながら様子を見守っている。
「オグマ様ぁ!」
ただひとりエルルだけが、ユッフィーに抱きつく褐色肌の白髪少年をニコニコ見ていた。背丈はユッフィーより上、エルルより下といったところか。
「エルルよ、元気にしておったか」
「地球はぁ、楽しいですよぉ!夜しか動けませんけどぉ」
オグマと呼ばれた少年の、まるで孫を見るようなまなざしに。ミカと銑十郎が思わず顔を見合わせる。
「エルルちゃんと知り合い?」
「オグマ様は、アスガルティアの賢者。古の妖精ドヴェルグの生き残りで、わたくしのお師匠様ですの」
ユッフィーから説明を受けても、ミカの表情から疑いの色は晴れない。
「ドヴェルグって、ドワーフの古い呼び名よね。その割にはヒゲもないし、ただのエロガキじゃない」
ヒゲもない、とミカに言われて。オグマが急に涙目になる。
「ヒゲはなぁ!ドヴェルグには、おなごのおっぱいみたいなものじゃ!!」
そしてまた、ユッフィーの胸に顔をうずめてすりすりする。
「乳房は女性の象徴ですが、エルル様は小さくても素敵な女性ですの」
泣きじゃくるオグマの頭を撫でてあげながら。ユッフィーは気難しい師匠を気遣い、母性あふれる優しいハグをしてあげている。すると。
「ユッフィーさぁん、優しいですうぅ!!」
エルルがユッフィーを背後からぎゅっと抱きしめて。奇妙だけどなんだか心温まる場面が展開された。野次馬たちは、ユッフィーの胸で鼻の下を伸ばしてるオグマをうらやましそうに見るばかり。
生身じゃないアバター、精神体だからできるこそスキンシップ。三密回避だ、感染防止だと叫ばれるご時世だからこそ、その光景は見る人に訴えるものがあった。心の触れ合いまで、遠ざけたくはないものだ。
「崩壊するアスガルティアから脱出するときぃ、オグマ様は『喰らう者』との戦いでぇ、わたしぃたちをかばって。賢者としての知恵とチカラを奪われてしまったのですぅ」
「オグマ様は、エルル様の命の恩人。ですからこうして、お慕い申し上げておりますの」
チカラを奪われて、よく知る立派なヒゲのドワーフから少年の姿になってしまった。ミカの中で理解が組み上がり、仕方なく三人を見る。果たして、本当にそれだけかと勘繰りつつも。
「大丈夫。ユッフィーさんは、ミカさんの王女様だから」
銑十郎に内心を見透かされて、少し恥ずかしそうに驚くミカ。
「あんたも、オタクの割には優しいじゃない」
「ユッフィーさんの影響だよ。彼女はきっと、エルルちゃんの影響で優しくなったんだろうね」
優しさは伝播する。感染者や医療従事者に心ない目が向けられ、海の向こうでは候補者同士が罵り合う。そんな世界でも、闇夜のオーロラはあると。銑十郎は、いつか聞いたユッフィーの言葉を思い出していた。
★ ★ ★
「それではぁ、再開を祝してぇ。子和清水の泉で乾杯しましょお♪」
エルルがどこからか、木製の樽型ジョッキを取り出して一同に配る。夢見の技で生成されたそれは、自然を友とする者の豊かなイメージが見事に反映されていた。解像度が高いのだ。
「かんぱぁい!」
エルルの音頭で、ジョッキをこちんと鳴らす音が周囲に響く。現実では、ソーシャルディスタンスを名目に見られなくなってしまった光景。
「うむ、懐かしいのう」
オグマが上機嫌で、ジョッキに汲まれた子和清水の澄んだ水をぐびぐびと飲み干している。
「エルルが仕込んでくれた、エールの味じゃ。酒蔵『ヘイズルーン』の」
「ニホンで飲むものより、フルーティな香りが際立ってますわね」
これが、酒づくりをしていたエルルの職人技なのか。夢見の技の再現度は対象をどれだけ明確にイメージ出来るかで決まる。その道の達人は、自身の専門分野を忠実に再現できるのだ。
「美味しいですけどぉ、わたしぃじゃあ地球の味は出せませんねぇ」
いくらプロであっても、飲んだことがないのだから仕方ない。人間、経験してないものには想像力がはたらきにくいものだ。
「お嬢ちゃん、酒屋の娘さんだったのかい」
「そぉですよぉ」
野次馬のひとり、ほろ酔い気分のおじいさんが興味ありげにエルルを見ている。身にまとう着物は、なぜか「子和清水の像」にそっくりだ。周囲の風景が江戸時代にタイムスリップしているだけに、違和感がない。
「この泉から湧いてるのはただの水だけど、不思議と『思い出の酒』の味を思い出させるんだよ」
親はうま酒、子は清水。子和清水の像に刻まれた碑文の一節だ。
「酒好きのおじいさんは、好物の酒の味を連想しましたけど。酒に縁の薄い息子には、水の味しかしなかった…」
同じ泉なのに、なぜ飲む人によって味が変わるのか。その謎に想いを馳せていたユッフィーの頭上に、ピカッと電球が灯った。LEDじゃない方の。
「ここのパワースポットには、そういう不思議なチカラがあるのですわね。そして泉の水を離れた場所へ運ぶと、炭酸が抜けたようになってしまう」
これなら、闇市で泉の水が酒として売られてないのもうなずける。
「でも僕たちは、エルルちゃんのエールを味わうことができたね」
「異世界のお酒なんて、直接は飲めないはずよね?」
銑十郎とミカが、それぞれ疑問を口にすると。ユッフィーが不意に両手を前に差し出して、目の前に意識を集中させ始めた。夢見の技だ。
ユッフィーの手の中で、おぼろげなイメージが次第に具体的で明瞭な形を帯びてくる。生成されたのは、持ち手の短いプラスチックのワイングラス。それを子和清水の泉にひたして、水を汲むと。グラスの中の液体がワインレッドに染まってゆく。
「ワインですかぁっ!?」
「『ヤサイゼリー』の、一杯100円のグラスワインの味ですけど」
ユッフィーが差し出したグラスを、好奇心に満ちた瞳で見つめるエルル。それを両手で大事そうに受け取り、小さなお鼻をひくひくさせて香りを楽しむと、ソムリエのような所作で口に運んだ。
瞬間、エルルの背後がパッと明るく輝いた。背中に光る蝶の羽が現れて、嬉しさのあまりにパタパタと羽ばたき、蛍のような光の粒子をあたりに吹き散らした。その様子に、オグマや野次馬のおじいさんも目を細めて微笑む。
「地球のお酒ぇ、おいしいですぅぅ!!」
これが安酒だなんて、信じられない。エルルの表情は驚きに満ちていた。
「最近じゃ、一流シェフもわざわざアルバイトしたって噂のお店ですわ」
ユッフィーの中の人、イーノは現在無職だ。高級な酒など、飲めるはずもない。それでも、イタリアの味をお手軽に楽しめるその店はお気に入りだった。
「ユッフィーさぁん、だいすきですぅ♪」
「どういたしましてですの」
エルルが出したジョッキで水を汲んだら、彼女の記憶にあるエールの味が再現された。それを自分もやってみただけのこと。まさか100円のワインでここまで喜ばれるとは、予想外だった。
すると。ユッフィーの胸元から光る玉がひとりでに抜け出して、ちび竜の姿をとった。使い魔のボルクスだ。
「ボクちゃん、どうかしましたの?」
ボルクスは子和清水の泉の方を向いて、しきりに何か訴えている。見ると、泉からぶくぶくと何か泡が立っている。野次馬たちから声が上がった。
「私たち、泉に斧とか落としてないわよ?」
金の斧と銀の斧の話を連想しながら、ミカが不思議そうに泉を見る。危険はなさそうだが、銑十郎も一応注意して様子を見守った。
「む、これは」
泉から浮かび上がってきた光る玉に、オグマが物珍しそうな声を上げた。それは子和清水のかつての姿を思わせる、澄んだ水の色をしていた。
ボルクスが泉の上を飛んで、光る玉をくわえて戻ってくる。そして主人に玉を差し出した。
「ボクちゃん、ありがとうですの」
頭をなでて、ハグしてあげると。ちび竜は気持ち良さそうな声で啼いた。さっきハグしてもらったのに、オグマがうらやましそうにそれを見ている。
「子和清水の思い出。わたくしは『メモリア』と呼んでますわ」
「ボルクスも、メモリアなのかい?」
銑十郎の問いに、うなずくユッフィー。
「ボクちゃんは、わたくしが最初に目覚めたときから一緒でした」
悪夢のゲームの中、孤立無縁な状況で。このちび竜は健気に主人を支え、はげまし、乗騎となってくれた。だからこそ、ミカを助ける余裕もできた。夢での記憶は、小説を書いたり絵に描いたり「覚えている努力」をしなければ、次第に薄れてゆく。
「ボクちゃんは『ロックダウン』以前にわたくしたちが冒険した、異世界の思い出が形になったものだと思いますの」
「エルルちゃんは言ったわね。私たちが地底世界や氷の世界を旅したことがあるって」
ユッフィーの話に、ミカがふと思い出してエルルにたずねると。
「そぉですぅ。わたしぃと後輩のミキちゃんとぉ、歩き巫女のマリスちゃんで地底を旅してぇ」
「エルルよ、そこまでじゃ」
突然、エルルの話を誰かがさえぎった。
「アリサ様ぁ!?」
一同が振り返ると。そこにいたのは兎面の剣士こと、武者姫アリサ。今日は仮面をかぶらずに、頭の脇につけている。
「おぬしも、ここにおったのか」
オグマを見つけると。アリサは少年の首根っこを子猫のようにつかんで、足早にその場を立ち去ろうとする。オグマは駄々をこねて抵抗するが、全く相手にしないアリサ。
「ユッフィーたちには、余計なことを話すでないぞ。よいな?」
エルルとオグマに言い聞かせると。アリサは手足をウサギに獣化させ、耳と尻尾まで生やして跳躍する。ひと跳びで歩道橋の上まで飛び上がるようなジャンプ力だ。
「わしからは話せんが…向こうで待っておるぞ、愛しのユッフィーよ!!」
ぴょんぴょんと跳ねるアリサに揺られながら、オグマが手を振って愛弟子に別れを告げた。
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