第1夜 ユッフィーとミカ
「お〜っほっほっほっ!!」
深夜の街に、どこの悪役令嬢かと思うような高飛車笑いが響き渡る。
笑いには邪気を払う力がある。でも女の子が、どこぞの御老公様みたいな「カ〜ッカッカッカッ」では変だから。うちの子のキャラではない高笑いをしてみた。ちゃんと手の甲をあごの下に添えて、アイーン。
「憎むな、殺すな、赦しましょう!」
窓に「令和」と貼り出された、書道教室の屋根の上。額に三日月の飾りをつけた小柄な少女が、見た目にそぐわぬ毅然たる態度で呼びかけると。追う者と追われる者は思わずそちらに注意を向けた。それだけの気迫があった。ここだけ見れば、まるきり日曜朝の変身ヒロインの名乗り口上だ。
「ユッフィー王女…?」
「というわけで逃げますわよ、ミカちゃん!」
月光仮面のおじさんは、月に代わっておしおきしない。三十六計、逃げるにしかず。
血走った目が暴走気味で追いかけてくるが、向こうは徒歩だ。ミノリダイ近辺は意外と、坂道や段差の多い土地。ここはひとつ、飛行ユニットの強みを見せてやろう。
それでもしばらく、高低差を無視してめちゃくちゃに追ってきたが。
★ ★ ★
青い髪の少女が、水色の髪の女性を抱えて夜の街を飛んでいる。背中には妖精のような蝶の羽が生え、ドラゴンの尻尾も見える。高さはそこら中の電線に引っかからないギリギリだし、かなり人目を引く姿のはずだが。
「王女…重くないかしら」
「走るくらいしかスピードは出ない分、運搬力がある子なんですの」
尻尾がまるで自己主張するかのように、少女の意思を離れてブンブン振られた。
女性のほうは、軽装の少女と比べれば重装備だ。鎧を着て盾も持ってる。けどそれは、見た目だけのもの。これは夢なんだから。
「私、なんで盾役なんだろう」
「おかげさまで、わたくしが見つけるまで持ちこたえてくれましたわ」
ミカが癒し手を好むのは知っている。おそらく、このゲームの目的にそぐわない要素だから、排除されたのだろう。それをここで説明しても、彼女をより不安にさせるだけだ。
深夜とはいえ、道路にはREDの街灯が真昼の如く眩しい光を放っている。新聞配達のバイクも走っているし、深夜営業のラーメン店から出てくる客もいるのに、誰もふたりに気づかない。姿が見えてないのだ。さっきも大声で高笑いや決めゼリフを叫んだのに、苦情のひとつも出てこない。声が聞こえていないのだろう。
幸いにも、追跡者の姿は見えない。
いま、ふたりの意識は夢の中にあり、身体は家で眠っている。精神だけがアバターとして本人の望む姿で抜け出してきて、リアルの風景にRPGの世界を重ね合わせたような拡張現実めいた夢を見ている。
「ミカちゃん、さっきは座標がズレてごめんなさいでしたの」
「王女が私を召喚したの?」
ミカと呼ばれた女性が、驚いた表情で見上げると。
「地球から異世界への召喚じゃなく、同じ日本国内なら見様見真似でなんとかなると思いましたけど。やっぱり難しいですの」
ミカに視線を落とし、お茶目な笑みを浮かべるユッフィー。
「モノマネで召喚ができちゃうって、とんでもない才能よ」
「リアルでこう上手くいけば、イーノ様も苦労しませんでしたのに」
そこへどこからか、ユッフィーの元へ通信が入る。
「ユッフィーちゃん、バーサーカーがそっちへ向かったよ」
「助かりますの。地下道に隠れてやり過ごしますわ」
鮮魚街道を脇にそれ、ふたりは歩道橋の役割を果たす地下道へ入った。
★ ★ ★
短い地下道の前後に視線を向け、周囲を警戒するユッフィーの背中をミカが眺めている。いまは羽も尻尾も生えてない。
深夜だが、地下道にもまばらに人通りはある。ジョギングする人、飲み会帰りの若者グループに、スマホ画面に視線を落としながら歩く人。それらの全てが、ユッフィーとミカには目もくれず通り過ぎてゆく。ぶつかりもしないで、幻のようにすり抜けてゆく。
夢ではあるが、これは現実の風景とリンクしているのか。幽体離脱して、夢の中で現実を見ているのか。
不意にユッフィーが胸の谷間から、手のひら大の宝玉を取り出す。それは手の上で数cm浮いたかと思うと、光を発して柴犬ほどの大きさのちびドラゴンに変わった。小さき竜の背には、さきほどの主人と同じ模様の蝶の羽。
「ボクちゃん、偵察頼みましたわよ」
地下道の路面に両足をそろえ、片側に倒してミカが座り込む。そのまま静かに壁に背をあずけて、心の中でため息をついた。
このまま、夜が明けてくれればいいのに。
隣でユッフィーがあぐらをかき、座禅のように目を閉じ精神を集中している。使い魔と視覚・聴覚を共有しているようだ。触覚は残しているので、何かあれば手を握るなり肩を叩くなりしてほしい。そう言われていたけど。
ミカが自分なりに、頭の中で状況を整理しようとする。
気付いたら、夢の中で目が覚めた。身体がフワフワして、どこかへ飛んでいきそうな感覚があった。でも突然見えない天井に頭をぶつけて、地面に落とされた。そしたら目の前にあの男がいて、鬼のような形相で迫ってきた。必死で逃げていたら、目の前の景色が瞬時に変わった。
いきなり、土地勘のないところに呼び出してごめんなさい。ここは千葉県松戸市、イーノ様の地元ですわ。ユッフィーはそう言った。
自分と同じように、悪夢であの男に追われてるだろうミカを助けるには。ふたり一緒に合流して、行動を共にした方がいい。そうも言っていた。
さらに、他に仲間もいるらしい。あとは夜が明けて、悪夢から解放されるのを待てばいい。寝不足にはなりそうだけど。
そう思い、ミカが安心した瞬間。ユッフィーが急に目を見開いた。
「彼が暴れて、他のハンターを襲ってますの。しかも女性ばかり狙って」
「それって…!」
ふたたび、ミカの心が強い不安にかき乱される。それは彼女を決して安心させまいとする、何者かの強い悪意のようにも感じられた。
「人の憎悪が、悪夢のゲームで他人をどう歪めるか。ミカちゃんにも、見ていただきますの」
ユッフィーがミカの手を強く握る。さっきは逃げといて、今度は自分から危険に飛び込もうというのか…!
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