4夜 私のアテナはフレイアです
氷河期の記憶
異世界は異文化だ。それは違う前提から生まれる。地理的条件に、たどってきた歴史。地球とヴェネローンも、前提が違う。何が善悪なのかも、地球人の物差しだけでは判断できない。
「お父様」
オグマとエルルの過去を知る、記憶の旅を終えた私に。私の中のユッフィーが呼びかけてきた。
「どうするか、決まったのかい」
ユッフィーと同じアバターを共有しているが、私は私自身の声と口調で彼女に問いかける。アバター人形が想像を形にして、機能がアップデート。
「オグマ様は、お父様とそっくりですの」
「そうだね、彼もまた氷河期の戦士」
父と娘の対話を、エルルとアウロラも見守っている。事情を知ったことで、ユッフィーのオグマへの嫌悪感は薄れたらしい。
「せっかくだから、今度は私自身の話をしようと思う」
「パパさんのぉ、過去ですかぁ?」
ユッフィーさんの中のユッフィーさんじゃ、混乱するから。エルルは今後、私をパパさん、アバター人形に芽生えた人格をユッフィーと呼ぶことにしたらしい。
「現代の日本もまた、フィンブルの冬に見舞われてる。それは就職氷河期と呼ばれていて、失われた30年という別名もある」
「なんとぉ!10倍も長いんですかぁ?」
北欧神話のフィンブルの冬は、3年に及ぶ世界終焉の前兆。現代の日本人はそれよりはるかに過酷な試練に直面しているかもしれない。
「私を含めて、みんな鍛えられてるから、異世界で活躍する地球人も多い。勇者になったつもりが、魔王みたいに恐れられてるかもしれないけどね」
地球人は全員魔王。彼らが無意識に振るう強大なヒュプノクラフトは、創作災害となって数多の異世界に迷惑を及ぼす。それを思えば、そう言われても仕方ない。
ここでは、セルバンテスの「ドン・キホーテ」みたいに彼らの冒険譚を列挙して茶化すのは控えておく。
「私は正社員になったことは無いし、結婚はとうに諦めてる。親が子を殺す事件に、社会に復讐するジョーカー。そんなニュースを聞くたび心は寒さに凍えていたよ」
異常寒波に襲われたのは、気候ではなく経済と人の心。非正規雇用を都合のいい捨て駒にする企業のエゴ。悪ノリのイジメを芸と称するゴブリンみたいな有名人。氷河期の記憶が蘇る。
RPGの黄金時代を築くも、勘違いと慢心から転落するレックス社。この頃はまだ前身となった二社は合併しておらず、良きライバル同士だったけど。
「日本人があちこちの異世界で暴れるきっかけも、このときに生まれた」
日本人は地球での未来に絶望し、異世界への逃避を求め、夢の中で無意識に精神をワープ。私は氷の都ヴェネローンへ迷い込み、エルルと出会った。
「ネットにあふれる、転移/転生の話。それ自体が地球人のチートスキルで、力の源は想像力の魔法、ヒュプノクラフトなんだよ」
さっきからアウロラが私の脳内イメージを勝手に拾って、フリズスキャルヴで映像化している。取捨選択はしてるようだし、別にいいけどね。
「大変だったんですねぇ、パパさん」
「前提は違うはずだけど、ヴェネローンとは不思議な共通点を感じるよ」
私は氷の都へ何度も通ううち、住人の話からこの星の歴史を学んだ。
虐げられた弱者に復讐の刃を授ける、テロ組織「ガーデナー」。彼らがこの星で兵器化された創作災害「災いの種」を使い、星全体が凍りついたこと。呪われた遺跡となった古都を放棄し、ヴェネローンを築いたこと。
「そして、わたくしが生まれたのですね」
「ユッフィーは、私が自分と同じような独り者を慰め励ますために考えた、お転婆なお姫様。あるオンラインRPGで伴侶を見つけ、人妻になった」
そのお相手のプレイヤーとは、今でもたまにゲーム内で交流を続けている。リアルでは、一度も会ってないのだけど。
「それじゃあ、そっちのダンナさぁんも呼びませんとねぇ♪」
エルルが無邪気に、楽しそうにニッコリ笑う。ヴェネローンは極めて自由な結婚制度を採用しており、同性婚どころか多夫多妻まで認めている。加えて冒険者パーティは法律上の家族と同じ扱いで、家族同然に暮らす者が多い。
危険な迷宮で、命を預ける相手なのだ。強固な信頼関係なしに、パーティは上手くやっていけないだろう。
全ては星の復興のため、機能制限の一切ないフリズスキャルヴの本体が眠る遺跡の探索を円滑に進めるため。星が凍った影響は、誰も年を取らず新たな生命も生まれない奇妙な現象まで起こしている。
「彼も、ベナンダンティ計画の仲間に加わってくれると心強いね」
ダンナの名前は、銑十郎。ピンク髪で小太りな、オタクの狙撃手。穏やかで包容力のある人柄に、ユッフィーも引かれたのだろう。私がエルルと親密になったみたいに。
「オグマも、紋章院からリモートで聞いているのでしょうけど。答えは直接会って伝えるといいでしょう」
アウロラが微笑む。縁結びの女神を買って出る気は、満々のようで。
オグマ再び
数日後。ユッフィーとエルルが紋章院を再び訪れると、リーフが困った顔で腕組みをしていた。
「リーフさぁん?」
「どうなさいましたの?」
研究室には、オグマの姿も。彼のすぐそばには、見事な細工の金の首飾り。赤く、燃えるようなオーラをまとった…おそらくは、何かの神器。
「オグマ様、そんなの作ってどうするんですか」
「そんなのではない!これは、ユッフィーのためにだな」
あきれ顔のリーフ。ユッフィーとアバターを共有する私は、先日にフリズスキャルヴの端末で見た記憶から推理する。
「ブリーシンガメンですよね、これ」
「そうじゃ。わしがユッフィーに、アバターをヴェネローンの外でも使えるように作った。わし独自の、煌く炎の首飾りよ」
ドヴェルグには、意中の女性に自作のジュエリーを贈る文化でもあるのだろうか。みんながみんな、自分だけの女神を求めて飛び出しただけに。
「これはワンオフの試作品で、量産には適していませんね」
リーフの考える「ベナンダンティ計画」は、地球人の冒険者パーティによる部隊行動で、ガチャドラゴンなどの「悪夢の怪物」を討伐する。これでは、単独行動になってしまう。
「わたくしが嫌だ、受け取らないと言ったら、それまでですの」
ユッフィーも、わざと悪戯っぽい口調でアバター装置の問題点を指摘する。涙目のオグマを、エルルが忍び笑いを漏らしながら見ている。
「オグマ殿、私のアテナはフレイアです」
「パパさぁん?」
ユッフィーの身体から私自身の声で、気の毒なオグマに声をかける。エルルは意味を測りかねて、不思議な顔をしている。
「ギリシャ神話の女神アテナは、ゼウスの頭から生まれてきた。要するに、男から生まれた女。ユッフィーも、私の頭の中の想像から生まれましたね」
「ふむ。ではユッフィーは、フレイアのように自由奔放というわけか」
言質を取った。オグマがふとこぼした感想に、ユッフィーがしてやったりと少々ワルっぽくほくそ笑む。誰に似たのやら。
「わたくしは、自分の立場と責務くらい承知しておりますの。でも同時に、譲れないところもありますわ」
オグマから首飾りを受け取り、地球で災いの根源と戦う。彼女の行動原理は「高貴なる者の責務」だ。生みの親でプレイヤーの私が、そう演じてきた。戦わなければ、エルルの本体が眠るフリングホルニにも魔の手が及ぶ。
地球人が知らぬ間に、異世界に多大な迷惑をかけていると知ったら。知った者はそれを世間に広めなければならないし、始末をつける必要がある。私がこの物語を書く理由もそうだ。
「条件があるなら、言うがいい。ドワーフたるもの、対価なくして仕事を受けるなかれじゃ」
師匠としてのお手本か、オグマがユッフィーに促す。自分の権利を主張するだけでなく、きちんと相手の望みも聞く。けっこう義理堅いな。
「わたくしはオグマ様の弟子兼愛人になりますが、人妻ですので。まずは、第一の夫をヴェネローンに呼んで、話をさせて下さいませ」
「ふむ」
話を聞きながら、オグマが眉を動かした。私に向かって、そうなのかと問うように。
「ええ、彼女には銑十郎という夫がいます。女王の命を受けたユッフィー姫が地上に出て婿探しの冒険をし、探し当てた信頼できるパートナーです」
私は、私が遊んでいたオンラインRPGでの「ユッフィーの設定」を淀みなく語った。空想の存在だった彼女が受肉した以上、これはもはや立派な経歴。銑十郎のプレイヤーさんは驚くだろうが、喜んでくれるだろう。
「パーティはぁ、ファミリーですよぉ!」
地球人、特に日本人であれば混乱しそうな状況だが、エルルは純粋に家族が増えるのを喜んでくれる。そこに異文化、異世界を強く感じる私。
ユッフィーの「親孝行」
「それと、もう一つ。お父様とエルル様の結婚を、お認め下さいませ」
今、何と言った。ユッフィーの、立て続けな爆弾発言。
私は言葉を失い、オグマも黙る。気まずい沈黙。断じて、私がユッフィーの声と口調を使ったわけじゃないぞ。
「ユッフィーさぁん、ナイスぅ!」
エルルだけが親指を立てて、にっこり微笑む。彼女はノリ気のようで。
「おぬしは、どうなんじゃ?」
オグマが、ユッフィーの中の私に問う。少し考えてから、心を決める。
「つつしんで、お受けいたします」
「なら良い。ヴェネローンは地球人に市民権を認めぬ方針ゆえ、ここで籍は入れられぬが。わしは二人を、夫婦と認めよう」
オグマもまた、祝福の笑みを浮かべて。
「パパさぁん!ユッフィーさぁ〜ん!!」
エルルがまとめて、ユッフィーとオグマをぎゅっとハグ。ユッフィーの中の私も含めて、実際は三人分の愛情表現。ややこしいけど、みんな家族だ。
リーフも、唐突な急展開に仰天していると。隣にアウロラの立体映像が現れて、新たな家族の誕生を拍手で祝福した。
「とうとう、エルルにも伴侶が見つかったのう」
「嬉しかったですよ。こういうことは、私から言い出せませんから」
パパさんのつぶやきを聞いて、ユッフィーが言葉を補う。
「ええ、知っていますとも。お父様とは、魂がつながってますから」
「男子たるもの、惚れたおなごは自分から口説かねば」
今度は、ユッフィーがオグマをたしなめる。もうすっかり手綱を握って。
「好きな異性がいても、お父様は自分から言い出すことはありませんの」「それが底辺の男性にかけられた、氷河期の呪いだから」
恋愛なんて、めんどくさい。結婚なんて、気にしない方がいい。あなたも、そう思っていないだろうか?
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