5夜 禁じられた転移
蝶が見た流星
赤くライトアップされた東京都庁とレインボーブリッジ。東京アラートだ。2020年春、世界を覆ったのは…あの疫病。笑顔は奪われ、夏は来なかった。
夜空には、無数の流星雨。
おかしい? あのとき、そんなのは見えなかった?
流れ星と思ったのは、夢渡る魂の蝶。肉眼で見えず、カメラにも映らない。
日本人の心には、三十年もの間冷たい雪が降っていて。世知辛い現実からの逃避を望む魂は、夜に眠りの中で羽ばたいて。精神だけを異世界に飛ばして望む世界、望む姿で冒険を満喫する。朝日が昇るまでの間。
そうやって飽きるほど、転移と転生の物語は紡がれた。けれどもう、胡蝶の夢は羽ばたけない。見えない天井に阻まれ、力尽きた魂たちが堕ちてゆく。流れ星に似た、砕かれし願いの果て。
たったひとつ、残った蝶がふらつきながら天へ昇る。何度も壁にぶつかる。
行かなくちゃ。愛する家族の待つ、ヴェネローンへ。
その蝶は私だった。もう、戻れない。
ハリー・ユージーン
「おお、勇者たちよ! 今や故郷も同然の異世界へ渡れぬとは、哀れなり」
まるでゲームソフトの「ドラグーン・ジャーニー」に出てくる王様の、悪趣味なパロディめいた言い回し。
(何だコイツ、バカにしてるのか?)
地上に落ち、蝶から人の姿に変わった魂たちが声のする方を見上げると。
「余は、ハリー・ユージーン。RPGの王様じゃ。そなたらが来るのを待っておった」
新宿のビル街の谷間から見える、巨大な立体映像。深夜の街は静まり返り、人の気配もない。誰かがいても、起きている者の目には映らない。ゴーグルなしでは、VRの映像が見れないように。
「あんた、なりすましだろ」
「素顔を見せろ」
転移を阻まれた「勇者」たちが、不審に思いながら声を上げる。伝説のクリエイター、ハリー・ユージーン。氷河期世代なら誰もが知る国民的RPG、ドラグーン・ジャーニーの生みの親だ。彼がこんな真似をするのか?
「疫病はびこるこの世界では、マスクなしでは命に関わる。そなたらにこれを授けよう」
疑問には答えず、ペストマスクの「王様」が手をかざすと。地球人たちの顔にマスクが装着される。デザインは不織布マスクをはじめ多種多様で、中には姿が変わった者もいる。
「おいこれ、いつもの夢ん中の」
「お前もか」
勇者、いや冒険者たちがざわめく。いつもの冒険の舞台へは渡れないが、姿だけは取り戻せたのだから。マスク姿なのを除いては。
「そなたらを地球に閉じ込めたのは、人々の不安が生んだ『ロックダウンの結界』じゃ」
「なんだよ、日本じゃできないって言ってなかったか?」
ここは現実と、夜の夢の交わる異世界ゆえに。王様はそう答えた。この放送をヴェネローンの者が見ていたなら、結界は創作災害だと指摘しただろう。さらに王様は語る。
「家にこもって自堕落なゴブリンモードも、そろそろ飽きたろう」
「オレたちは『勇者』だからな!」
目の前のハリーが本物かどうか、もうどうでもよくなったか。ノリのいい誰かが歓喜の声をあげた。
「夜の街を冒険の舞台とし、好きなように暴れるがいい。勇者であり、魔王でもあるゴブリンどもよ」
ハリー本人なら、口にしないだろうブラックなセリフ。そのとき、彼の映像にノイズが走って乱れた。ザーと砂嵐の音が。
「ガーデナーめ! よくもわしのユッフィーをさらいおったな」
夜のビル街に、巨大な映像がもう一つ。ペストマスクの王様と対峙する怒りの形相のドワーフが。全盛期の姿を再現したオグマだ。
「誰だよ、あのおっさん」
「ドワーフ…なのか?」
再び騒然となる地球人たち。その中でただ一人、努めて冷静に事態を見守るおっさんの姿が。ユッフィーのパパさんだ。マスクはお祭りの屋台で見かけるような、ユッフィーを模したお面。見た目はシュールだが、冷静だ。
「これはこれは。もう動いてきたか、我らの宿敵ヴェネローン」
ガーデナーとヴェネローン、対立する二つの組織。さらわれた女の子。察しのいいプレイヤーが、両者のやり取りから推測する。
「何だ?このRPG、PvP要素ありか?」
「そう、悪夢のRPGだ」
映像の「王様」が、調子を合わせて答えると。ドワーフも言い返す。
「これは夢でも、ゲームでもない。わしらから見れば、現実そのものじゃ」
今まで、地球人たちが夢の中で異世界に転移や転生をして。好き勝手に無法をはたらいてきたことは、全部現実。大迷惑。
「冒険者たちよ。王として、そなたらにクエストを与える。この日本に七人の、異世界から召喚された姫がいる。『姫ガチャ』を回して救出するのだ」
「おのれガーデナー、よりにもよってわしとユッフィーの初夜を」
状況を想像し、地球人たちがずっこける。イベントのために勝手な異世界召喚をする王様は悪だが、こんな爺さんの嫁にされるお姫様は行為に及ばれる前に召喚されて、ラッキーだったのか?
パパさんが想像する。たぶん、オグマの身の上に共感を覚えたユッフィーの方から積極的に行ったのだろうけど、直前の転移で未遂に終わったか。
「ユッフィーさぁん!」
またも、映像が乱れる。今度は可愛い女の子の声。立て続けにパァン!と小気味いい音が響いて、王様がのけぞった。落ちた王冠を拾い、かぶり直す。
「映像に干渉した、だと…!」
これは情報戦だ。敵対する二つの組織が、それぞれに自分の主張を流している。だが相手の映像に干渉するなど、コメディとしか言いようがない。驚きの声は王様のものであり、地球人たちのものでもあった。
「ユッフィーさぁん、必ず助けに行きますからねぇ。パパさんも!」
オグマの隣に現れたのは、ハリセンを肩に担いだエルル。オグマの発言で一時は怪しくなったヴェネローンの印象も、彼女のおかげで好転したかも?
「マリカさぁんも、お願いしますぅ」
「しょうがないわね」
続いて聞こえたのは、気の強そうな少女の声。
「あんたたち。もしも白いシャツを着てるなら、ベナンダンティとして夜の戦いに加わりなさい。悪夢の怪物を退け、豊かな実りを守るのよ」
「出た!謎の不思議ちゃん」
「お姫様ゲットもいいけど、ヴェネローンも可愛い子ちゃん揃いだな」
ビルの谷間に、これまた巨人サイズで投影された赤毛のツンツン娘マリカ。一部の地球人たちの好みに直球だったようで、歓声が上がる。頃合いと見たか、オグマが締めに入る。
「全ての日本人は、コノハナサクヤビメの子孫。そしてイワナガヒメと共に歩んだドヴェルグの弟子じゃ。先人の教えが、道を示してくれよう」
「厳しい試練を潜り抜ければ、いずれ再び異世界への道も開けよう。仮面の力を上手く使うのだ」
ペストマスクの王様も締めのセリフを述べて、全ての映像は消えた。
(白いシャツ…?)
疑問に思った私が、ふと自分の胸元をのぞき見ると。確かに白い光が、微かに胸を覆うように灯っていた。
通信途絶
「地上の様子は分かりませんが、メッセージは送れたはずです。あとは」
氷の都、ヴェネローンの紋章院。いつもの仕事部屋で、リーフがホッと胸を撫で下ろす。オグマ、エルル、マリカの姿もある。
「さすがぁ、ヒュプノクラフトですねぇ!」
ガーデナーの通信に割り込み、謎の王様にパコン!と一撃食らわせた場面を思い出し笑いしながら。エルルが場の空気を明るくする。
「奴らめ、地上をこちらから把握できぬよう通信妨害をかけたか。じゃが、向こうもフリズスキャルヴの端末を使う以上、干渉はできる」
「ええ。ガーデナーはおそらく、ローゼンブルク遺跡の奥深く。より権限の高い端末、あるいは本体からアクセスしているのでしょう」
オグマとリーフの会話から、要点をまとめればこうだ。今まで彼らの端末で確認できていた地球の様子が、霧がかかったように見えなくなった。ただしガーデナー側のアピール内容は傍受できたので、できる手を打った。
「これは過去にない規模の、夜の戦いよ。あいつだけじゃ、荷が重すぎる」
昔はネットも、SNSも無かったんだからと。マリカは眉間にシワを寄せた。
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