たった1本でも「鼻毛が伸びている人」になる「鼻毛理論」の話
「鼻毛理論」の話をします。
みなさん鼻毛が生えているじゃないですか。いや大丈夫、見えてません。見えてませんけど奥に生えているでしょう。たぶん。
鼻毛は放っとくと伸びてしまう。ぼんやり生きているとぐんぐん伸びる。ぐんぐん伸びて穴から顔を出す。穴から顔を出して風に吹かれる。ざわわ。ざわわですよ。
この状態を仮に「ざわわ」と呼ぶとしましょう。
ざわわを人に見られるのはやっぱり恥ずかしい。周りの人に「どうやって教えよう……」と悩ませてしまい、結局なにも言われなかったりして、ざわわは夜の街に繰り出してしまう。夜風に吹かれるざわわ。家に帰ってお風呂を済ませ歯を磨いたあたりで鏡に向かい「いつから!?」ってなる。いつからも何も朝からざわわはそこにいる。
で、ざわわを避けるためになんらかのケアをするでしょう。剃るなり切るなり。
僕、去年はじめて鼻毛カッターを買ったんですけど、これホント便利ですよ。気になったときチョッって剃れる。「鼻の中で刃物が回転する」って怖い〜と思ってたんですけど買ってよかった。期待も込めて星4つです。
「2018年買ってよかったもの」のコーナーではなかった。
そんなこんなで、常にざわわのケアをしているとしましょう。日々怠らないようにしていたとしましょう。
ところがある日。1本だけ、1本だけ切り残したとしましょう。
その1本で、あなたは「鼻毛が出ている人」になってしまう。
あんなに頑張っていたのに。なんならその日もケアをしていたのに。たった1本だけ伸びているだけで、もうそれは「鼻毛が出ている人」なのだ。
その瞬間、これまでざわわを未然に防ぎながら、平穏無事に暮らしていた日々のことは思い出されない。たった1本の有事で、もう「鼻毛が出ている人」になってしまう。
なんと恐ろしいことでしょう。
最近こういう「一つのミスで全部ダメだと判断する」ことがあるなぁと思うのだ。自分がミスしたときに落ち込んだりするのもあるし、世間を騒がせるニュースにもそういうのがある。
それは鼻毛だ。
鼻毛が1本伸びていたからといって、それまでの日々を否定するのは早いのだ。もう一度その鼻毛を抜いて、また始めたらいいのだ。鼻毛が出てることに気がついていない人がいたら教えてあげたらしいし、自分も出てないかな?と鏡を確認したらいいのだ。
サトウキビ畑のように広い心を持てたらなぁと思う。ざわわ。ざわわ。