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乗換検索があれば路線図は必要なくなるの

とある打合せの席で「路線図ってこれから無くなるのでは?」という話題になり、いろいろ考えてしまったのでメモしておきます。

どうして路線図はそこにあるんだろう

ICカードの普及により、券売機で切符を買うことも少なくなった。目的地までのルートは乗換アプリで検索する。運賃やルートの答えがすぐに出る。そうなったら、路線図は必要なくなってしまうのでは? 海外に行ってもスマホがあればなんとかなりますし。

そんな質問を受けて、うーん、となってしまった。

これまで「アプリにはアプリなりの路線図の表現があって〜」とか「路線図で切符が買える券売機も出てきて〜」とか、ITによって路線図のかたちが変わっている、という話はしたことがある。でもそういえば、ITによって路線図そのものがなくなるのでは? という疑問には、ちゃんと向き合ったことがなかった。

「紙には紙の良さが」「検索は味気ない」「図の暖かみが」と、ついつい答えたくなってしまう。でもエモーションに任せず、きちんとロジカルに考えたらどうなるだろう。

「割り切り」によるジャンプ

結論からいうと、「現行の形をした路線図は減っていく」という未来はありうる。

そもそもの話をしたい。

かつての路線図は、地図の上に鉄道の路線を描いたものだった。それを「駅と駅とのつながりが示せればよい」と割り切り、縦・横・斜め45度の直線のみで構成したのがロンドン地下鉄路線図だった。1931年、電気技師のハリー・ベックによって生まれたダイヤグラム型路線図だ(この記事のトップ画像が1908年のロンドン地下鉄路線図。下がベックが作った1933年のもの)

地図からダイヤグラム型へのジャンプには「割り切り」があった。となれば、乗換検索の「出発駅から目的地へのルートがわかればよい」という「割り切り」も、ひとつのジャンプとなりうるのではないか。

もちろん、スマホが使えない人もいるし、駅の案内サインとしての役割もある。いまの路線図が完全にはなくなることはないだろう。

でも、「割り切り」によるジャンプを「紙には紙の良さが〜」と感情のまま抗うのは、わがままなのかもしれないな、とも思うのだ。もっと便利なものが出てきたら、それを止める理由はない。

「付加価値のある路線図」もある

で、以上は「ルートを調べる」という目的に限った話。それ以外にも、路線図には「付加価値」を持ったものもあって、これはこの先も残ると思う。

・ランドマークのイラストを載せるなど、観光マップとしての役割を持つもの
・工事の告知やスタンプラリーなど、特定の範囲に含まれる路線を示すもの

※「それは路線図なの?」というご意見もあるだろうけど、僕にとっては駅と路線を表す図は全部路線図なので……

そしてなにより、鉄道会社にとっては「うちの路線はここまで通ってます」というアピールの役割もある。路線図がないと、どこまでカバーしているかパッとわからないもんね。

路線図のセレンディピティ

それでも最後にちょっとエモの部分を出しちゃうと、路線図によって目的地以外の場所に思いを馳せることは、やっぱりいいよなぁとも思うのです。

この路線に乗っていくとここまで行くんだ、この駅とこの駅は同じエリアなんだ、「新宿」って名前の駅いっぱいあるなぁ……。

書店をうろうろすると思わぬ本と出会うように、新聞を広げていると普段興味のない分野のニュースが目に入るように、そうしたセレンディピティって路線図にもある。旅ってそういうものじゃないですか〜という思いもあるものの、路線図をどう使うかは個人の自由。乗換検索でスマートに移動する人がいてもいいし、路線図片手にブラブラする人がいてもいい。


「どうして路線図はそこにあるのか」を考えることは、「路線図が好き」という嗜好を理解するために必要な問いかもしれない。その打合せの場では「うーん」で終わってしまったので、こうやって言語化しておくの大事ですね。

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