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誰かに思慮が浅いと言われたら、思慮が浅いのはたいてい言った側の方

仕事だろうが夫婦喧嘩だろうが、友達との喧嘩だろうが、
誰かに思慮が浅いと言われたら、思慮が浅いのはたいてい言った側の方。
誰かにどうして考えないと言われたら、考えてないのはたいてい言った側の方。

言うまでもなく人はいろいろなことを考え、行動する。
その結果、間違うこともある。
正直、間違えない人間なんていないし、間違えない人間を目指す必要もない。
そもそも正解はどこにもないし、これが正解だと胸を張って言える人間なんてのもいない。
すべてはどこかの人間が考えたルール。人間が万能でない以上、正解はない。ですよね。
その意味で、実は、「人を殺しちゃいけない」という究極と思えるルールすら、これ人間が決めたことなんだよね。

で、相手に対して思慮が浅いとか、どうして考えないとか詰めるのって、
相手がどう考えているかに思いを馳せられていない明らかな思慮の欠如の結果、出る言葉なんだよね。
相手の脳がバグを抱えたコンピュータでもない限り、その人の行動はその人なりの論理で出たその人の「正解」に従った帰結なわけだから、何も考えていないはずがないし、思慮が浅いも深いもない。
現実には、よく考えずにやりました、と言って謝ることがあると思うけど、それだって、「よく考え」られなかった立派な理由が存在するんだし、そこをないがしろにして、じゃあよく考えろ、とかいうのは論外。
思慮が浅ーいのは言った側の方。
お互いにとってまた同じトラブルが起こるだけ。

そうじゃなくて、どうしてそう考えたんか? と聞き、なるほど、俺はこう考えるが、どう思う? と会話(相手の話に耳を傾け、自分の意見を述べる)をすることで話は初めて前進する。
んじゃ、次からこうしてみようか。に持っていく。
たいてい、相手が何も考えてないと思ってるやつ(ましてやそれを口にするやつ)と、言われてる相手は、まるで違う方向を向いていることが多い。
どれぐらい違うかというと、一方は仕事のとあるオペレーションの重要性について考えているけど、もう一方は彼女がなぜ冷たいのかを考えている、それぐらい違う。
どっちも極めて重要な問題だ。
相手の考えを叩くんじゃなくて、聞く行為、いや、聴く行為は、まさにその方向性の確認作業でもある。
これをやると、あら不思議、すぐに双方の利益が生まれる。はっぴー。
相手と自分は、土俵が違う。尺度が違う。言語が違う。
そりゃそうだよ。
違う人間だもの。

繰り返しになるが、思慮の深さとかどれぐらいその問題について考えたかというのは、まるで意味をなさない。
どころか、頭ごなしに勝手に思慮が浅いと解釈すると、陰に陽に猛反発を受けることになる。
ちゃんと考えとるわハゲ!(彼女の気持ちを)ということになる。
The 不毛。(ハゲだけに)
これ、年齢関係なく当てはまる。3歳児相手でもお年寄り相手でもそう。
性別・人種・宗教も関係なく当てはまる。
で、これ、罠があって、実はこの現象、仕事のできるやつとか、優秀という評価を受けがちなやつとか、経営者とかに多い。
普段、自分は正しい道筋で物事を考えられると自負してるやつ。

ん? 何やってんだこいつ? となったら、あくまでもフラットにどうしてそれしよう思たん? とまず聞く。
それが、我らが誇る人類が築き上げてきた文明ですよ。

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