楽しかった子育てもそろそろ終了

息子が大学受験をしています。

まだ決まってないし決まるかどうかも定かではないw

親ってすごいなって改めて感じている今日この頃。
勉強をちゃんとする子もいればここぞというときにやることもいる。
大人にとって扱いやすい子もいれば
子供らしい子供としてちゃんと自分の言いたいことやりたいことを主張し
大人とちゃんと話し合いながら成長する子もいる。

子育てそろそろ終わり中という段階になって
再度私が試されるタイミングがきたと思っています。

放置していてもいいのかも知れないけれど
息子の成長はもちろん自分もまだまだ成長あるのみと思っているので
同時に二人の成長(一人は自分の成長w)が進行するのを
冷静に過ごせない自分がいることに気がつき
まだ自分が未熟な段階で、息子の受験を見守るというこのなんとも言えない感情を味わっているところです。

一旦は息子優先だと思ったけれど
自分が成長せずして息子をただ見守る健気な母では私はないことに気がつきました。

18歳高校卒業と同時に田舎を出てきた私。

親と離れて生活を始めた18歳の春。

これまでは子供の立場でしか物事を見れなかったけれど
今いざあの時の母の立場に自分がなった時
子供はとっても可愛いけれど
我の見解では
ここから先、どんなに仲良しであっても
手元に置いておくのはお互いに健全ではないのではと感じる。

大好きだからこそ手放す。
困った時や時々帰ってくるという距離感。

私が高校卒業以降、父と母は二人で暮らしている。

子供が自分たちの手を離れて生活をスタートさせたあの頃
両親はどんな気持ちで送り出してくれたんだろうとふと思う。

勉強が苦手だった私が
ただただ、がむしゃらに走り、そして息切れし、
挫折しかけた私の背中を再度押してくれた父と母がいて
なんとか乗り気ってきた私が積み重ねてきた経験はとても感覚的なもの。

幼い頃から本が読めなくて、音符は読めるけれど楽譜が読めなくて
これがなんなのかに気がついていたら
この私の自信のなさは解消されていたんだと思うけれど
この解消がなかったからこそ
息子にはもっと楽しくいろんな学びを得て欲しくて
自分が苦手としてきた理論的なものの考え方は
自分の中で何をやればこれを達成させることができるという確信が持てないまま成長してきている。

頑張れば達成するという漠然としたものになってしまっていて
理解して身につけるというより
えいってやったらがーってできちゃった。

は本当に自身にはつながってなくて。。。

えいっってやったらできちゃったというレベルも自分なりのレベルなので
別に群を抜いて出来てるわけでもないというのが自信に繋がってないところあと思われる。

なので子育てスタートした時には〇〇式とか、何をやったらいろんなことがっすムーズにできる子に育つんだ??って考えて色々迷走しかけたけれど
ある一点において人に頼るということを諦めた。

シングルマザーで親もいないので兎にも角にも私が全て賄わねばならないこと。
お金ももちろん時間も。

ということはやっぱり限界があるので、
何かに任せてスーパーマンに育てるのはもう諦めるしかなかった。

知育玩具も少しは買ったけれど
うちはレゴには全く興味を示さず、
興味があれどもママが作ってくれれば満足という理想的な興味を持ってはくれず、保育園前の一緒に散歩したりキャッチボールしたりといった一緒に遊ぶことがとにかく楽しくて、コマ回しや縄跳び、ボール遊び、走る、泳ぐといった見た目には体を使って遊ぶ方がとても興味があったようで、ある程度までかなり私が遊び相手となった。

こままわしは3歳の時にお兄ちゃんたちが遊んでいるのをずーっと見ていた日が続いたらある日突然紐を巻き始めたんですと保育園の先生から聞かされました。鉄棒も4、5歳で友達がぐるぐる回っているのを見て何度も何度もひとりでれんしゅうしていたらしい。回りたかったんでしょうね。
そしてある日くるんとと回ったと。
先生はそばで見ていただけなんです。と。

縄跳びはどうしてもできなかった二重跳びを家でも練習するということになり、私が回して一緒に飛ぶタイミングを掴んだら飛び始めた。

小学生になって私には全くコツもわからなかったリフティング。
毎日練習している姿を見て一緒にサッカーしているお兄ちゃんのお父さんが
ちょっとしたコツを教えてくれた直後に10回くらいしかできなかったリフティングが30回を超えた。

このコツコツ成功体験が息子の根拠のない自信を積み上げていっている。
このちょっとしたコツを得てきている息子は人にそれを伝えるのがまた上手で、ここなんですよね。これが私にはなかったから自信が積み重なってない。

息子は確かに運動神経や体格を考えたら自分の上を行く人がたくさんいるけれど、技術を身につけることや理論を知ることが面白いと思っているので
実は体力勝負をしてくる相手は特に怖くないみたいで、差しなら勝てると。

ここだなー。
もっと自分の中で積み上げてきたと思えるものが少なすぎて
勢いとか努力とかで押し切ってきた私は
その努力をするのが辛くなってきたらそこだけが自信だったのに
それを超えられなくなって自信が崩れた。。。

でも、その自信ってただの自己満足で
実は超えてきてるものなのに
何歳になったって超えられるものなのに
勝手に自分を低く見積もってできないかも。。。って思う時間が長くなってますます怖くなって。。。という悪循環に陥ってる。

役に立たない老害の人たちを見てきて
あんなふうになりたくないという思いを抱えたまま
もしかしたら自分がそんな老害の中に入り始めているのかもという不安と
若者の思考についていけないという怖さと

でも理解したいし知りたいという強い思いの今葛藤の中にいる。

これまで得られなかったからこの先はない。
というのではなく
とにかく何歳になってもこれまでできないって思ってきたことを
私もやりたいし成し遂げてみたいという思いが
ますます湧いてきている。
息子はもうほっといても自力で生きていけるだけの興味づけと
面白い友達も周りにいるので当たり前の常識の世界をどんどん広げていってほしい。
私も自分で狭めてきた当たり前の世界を何歳になっても広げていきたい。

知りたいできるようになりたい。達成したいを実現したい。

カラダについてお客様にも同じことをお伝えしていた。

まだまだ変わるよって。
もっともっと綺麗になるよって。

初めての体験に向かう時
知らない世界に向かう時

ゾワゾワする。。。

今そんな時期かもしれない💦

切り抜けたいー。

と、去年の2月にこんな文章を書いて
下書き保存していた模様。


今息子先月末で19歳。
2度目の大学受験を迎えています😂

大丈夫かな。

大丈夫みたい。

私にはわからないから
これはまた別枠で書くね😂

では👋

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