【書評】ものごとを正しく認識しよう 『金閣寺』 三島由紀夫著
歴代最高の日本文学ということで読んでみました。過去には三島由紀夫の作品として『豊穣の海』も読みました。個人的な感想としては、『豊穣の海』のほうがおもしろかった印象です。
『金閣寺』は、陰キャがこじらせてとんでもないことをしでがした物語としてしか私は捉えられなかったです。物語を解釈するセンスのない私のせいなのはわかっているのですが。何回も繰り返して読まないとわからないのでしょうが、もう1回読もうという気力はすぐにはないですね。『豊穣の海』も難しかったですが、なんていうか輪廻転生の一貫したストーリーに惹かれました。
『金閣寺』も表現力がすごいことはわかります。自分が知らない日本語や喩えがたくさん出てきます。この辺はやっぱり天才だと思いますね。国際的にも評価されていて、英訳もされているみたいですが、どうやって英語で表現しているのか気になります。。今度買って読んでみようかな。
歴史的建造物を破壊する罪
金閣寺を実際に見に行ったことありますが、あれは確かに本当に美しいです。京都の色んな観光名所の中でも、一番スキです。一目見た瞬間、キレイだな美しいなという感想をだれもが思うはずです。なぜそう感じるのかは言語化できないですが、金色に人は魅力をやっぱり感じるのですかね。
それを放火するなんて、とんでもないことです。個人的に、建造物を壊すことは、人殺しと同等以上の罪です。ロシア/ウクライナ戦争で人が死ぬこともさながら、建物や文化財が破壊されていくことをとても悲しく感じました。たくさんの人の意志と想い、苦労を経て作られたものを壊すことは取返しの付かないことです。モノづくりに関わる端くれとしては本当に重罪です。なので、この金閣寺の主人公にはどんな理由があるにせよ、そんなことやったら絶対ダメにだろとしか思わないです。。
でも、主人公もそれをわかっていてやっている訳でよね。わかったうえでそれを実行する心情の解釈ができないのと共感が全くできないので面白さがよくわからないのですかね。まあそのうち、もう1回読み返してみようと思います。。
世界を変えるのは認識か?行為か?
個人的に印象に残った部分です。結論、両方必要だと思います。認識が世界を変えるってどういう意味だろう?と最初に思いました。物事をどう認識しようが、行動に移したり、行動を変えなければ、世界は変わらないですよね。認識によって自分が変わることはあるかもしれませんが。
ただ、良く考えると、ものごとをどう認識するかで行動はまるっきり変わるはずなので、認識も大事だと思います。いや、どう認識するか以前に、物事を認識すること自体できていますでしょうか?認識を”ある物事を知り、その本質・意義などを理解すること”と定義すると、できていないことも多いです。
たとえば、これも何かの本で読んだ気がするのですが、人生で何度も見たり乗ったりしている自転車の絵(詳細な綺麗な絵ではなく、フレームと車輪の関係がわかるよう線で描いた絵)を描いてみてと言われて正しく描ける人は少数みたいです。私も今描いてみたら間違っていました。正しくものごとを認識することと、ただ見ているだけというのは大きな違いがあるので。世界を変えるという大袈裟な話ではないですが、同じものを見ていてもどう認識しているかというのは人によってかなり差が出る部分だと思います。物事を認識することも力に入れよう、普段からも意識してみようと思うきっかけにはなりました。普段の生活でも目に入るものや情報に対して、なぜそうなっているのだろう?と疑問を持つことが第一歩です。なんでもかんでもそんなこと考えていたら精神がおかしくなりますが、せめて自分の専門に関わることだったり、興味があることに対してですが。そして、認識を正しくしたうえで行動しようと思います。
三島由紀夫がそんなことを伝えたかったのかは甚だ疑問ですが、そう捉えて、今後に活かします。