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誰かのことばっかりやって、自分自身を置き去りにしない

人と比較するな、執着するなって言われるけど、本気を出したことのない人がこの言葉を鵜呑みにして、自分の本気を知らずにくすぶったままの人生を送るなら、思いっきり人と比較して執着して自分をすり減らしながら過ごす期間を経験するのもいいと思う。ただ、期間限定。あと弱ってるときはやっちゃだめだけどね。

ずっと蛹(さなぎ)のまんま、羽ばたけないのって、ジャンクフードを食べるよりも、農薬まみれの米を食べるより自分をいじめてる行為だと思う。くすぶってるな、100%じゃないなと思ったなら、まずは100%の自分をイメージすることからはじめてみる。

ほんとはいいやつが悪いやつを演じる。自分をデザインして本気で伝えたいことを届けるためにやるそれは美しいなと思う。それを俺は「Holy lies(聖なる嘘)」と呼んでて、その逆をブランディングと呼んでる。その逆とは、ほんとはドロッドロで空っぽだけど、いい人を装って人を導こうとすることだ。ブランディングって言葉は何年経っても好きになれない笑

前者の人がつくる空間は、人をほんとうの意味で開花させ、幸せにする可能性が無限大だけど、後者のそれは0%。コンテンツじゃなくコンテキスト、現実世界に具現化するのは、表面上のものじゃなく根っこ・背景の部分。潜在意識と同じ理屈だから。

でも矛盾するかもしれないけど、前者も後者も本質的にはかわらないとも思う。結局どっちも本来の自分じゃないし、ステージが変われば人は本来の自分に戻っていくから、ぶっちゃけスタートはどっちでもいい。ヤバいのは戻れなくなること。自分がダークサイドに陥ってるって気づかないまま時をすごし、人生を終えることだ。

だからどっちも経験することが必要なんだ。理想は、今自分は前者を、また後者を経験していると自覚できることだけど、その最中はやっぱりむずかしくて、演じていた自分の周りに起きた結果で気づき、整い、脱ぎ捨て、真ん中に戻っていく、、これが中庸ってことなんじゃないかなと思う。

自分の本来の輝き、光は中心にある。令和はたった一人のカリスマがどうこうできる時代じゃないし、「一番とりました!売上最高益です!」って価値観がかなりダサく見える時代になって、目指すのは高み(Top)じゃなくて中心(Center)、自分に戻るって流れになるだろうけど、だからといって、自分の中にまだ一番になりたい、Topを目指したいって思いが1%でもあるならやってみればいいと思う。

そのかわり、自分が一番になることで自分の欲が満たされるだけのものじゃなく、それが半径1Mの人を幸せにして、さらに同心円状に幸せが無限の広がるものであれば。

誰も置き去りにしない、SDGsな成功の仕方をみんなで見つけやっていきたいね。いい流れになるからこそのどん底、沈みを経験する人が今増えてる。ここは一緒に乗り越えようね。誰かのためにばっかり頑張って、自分自身を置き去りにしないように。

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宝島社の広告。これ見た瞬間「知ってるよそんなの」と思ったけど、つくった人、コピーライターは天才だと思った。


今日は朝1件、スーパー人生相談。

終わったら、NPO関係のしごとをして、夕方から、新しいプロジェクトの打ち合わせ。夜は、CAMPFIRE主催のイベントに行ってくる。

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