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平凡な1日を過ごして浮かんできたこと
割と平凡な1日を過ごすと、なんだか損した気分になる。少し前までそんな風におもっていたけど、今はときたまそんな日があると得した気分になる。
未来に思いを馳せたり、忙しい日々を思い返して感謝したり、そんなゆっくりした時間を、昨日は楽しんでいた。
外へ出て、いつもの場所へ移動しようと思ったら雨が降ってきた。いつもは折りたたみ傘をもってるんだけど、なぜか昨日は忘れていた。「こりゃー今日は家だな」と思うのに10秒くらい。そのまま家に戻った。
ゆっくりと穏やかな時間を過ごす中で「どんな世界を創りたい」って問いが浮かんできた。それに対する答えは会社を起ち上げてから13年、ずっと変わらないけど、以前よりもっと「じゃあどうする?」「なにができる?」が具体的になっていることに気がついた。
できるできないかはわからないけど、できるんだろう。そんな風に思うし、今までアクセスできなかったところにアクセスできるようになった気がする。
これをやれば、あれをやれば手にしたいものが手に入る、ではないし、有名になったらできるわけでもない。社会の構造自体がかわらないとかなわない夢だったりするけれど、そんな夢を抱えて生きづらさを感じていた以前よりも、今はだいぶ楽になった。
僕たちはとっても面白い時代に生きている。自分の中で色褪せない、大切なものと一緒に、劇的に変わる現実世界を体験できるだろう。それが楽しみで仕方ないけど、待つのは性に合わないから自らもそんな新しい時代を創りにいく。
「変わる」ということはある意味で死ぬということ。でも死は「再生」とセットだ。少年時代、死は隣あわせだった。大切な誰かの死を通じて、強くなれたし、弱くもなった。自分の中にいるいろんな自分の存在を感じ、ときに苦しめられたけど、今は以前よりも遥かに仲良くなれている。
ありがとうが言える、ありがとうが生まれる、ありがとうを受け取れる。
どこへ行っても何をしてても、誰といても、それが循環する世界。
それをつくりたいな。って、自分の中のいろんな自分が言ってる。
いつも自分の内側に流れている、ある特別なメロディーが、昨日からまた大きくなってきた。
トミー