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自己紹介
MAKIKO デス。
1990年代コギャル全盛期時代
たいしたことない、いたってフツーな女子高生
ポケベル…ルーズソックス…ソックタッチ…
写ルンです…プリント倶楽部(プリクラ)…
それらのハシり、いつも何か真新しく
高校は学校がメインじゃなく、学校帰りに遊ぶために行っていた気がする。
今はほとんどないであろう女子高。
もともと高校へは行く気がなかった。
中2に美容師になる思いが膨れ上がって
しょっちゅうドラッグストアのヘアケア製品チェックして、それが当たり前で
マンガと先輩に感化されてツヤサラ髪、追究しまくった中学時代。
今はなかろう…脱色剤、ブリーチ専用のスプレー髪に吹きかけ茶髪を楽しみ、校則なんて知らん顔。
ルーズソックスの流行りが来る前、ワンポイント刺繍が入ったブランドソックス履いて通学したり
校則破りたい、反抗心でやっていたんじゃなく
シンプルだったな。
それがしたいからしていただけだった。
私、てっきり反抗心と思っていたけど
…今になって知ることもあるもんだ。
Popteenやピチレモン…SMAPも大好きだったから…いやむしろ心の支えだったものでね、明星やポテトにデュエットも買ってたし…
ようお金、あったな…
中学時代はもっぱら木村くん(木村拓哉)に心奪われていて
なんちゅうご縁でしょうかね…
当時、流行りのヘアスタイルは工藤静香さんから盗んでいたのだよ。
レイヤーね。
憧れて注文はレイヤーやシャギー
違い、ようわかってなかったけど
自分で、美容師さんのカット見て真似て切ってた。
…なんでこんな脱線状態のような話が続くのか
そう、この『美容師』になりたい夢を持ち始めたわたしは
時代的にも中卒で美容院で働きながら美容師になる道も当たり前にあったため
家計も、高校行かなければお金掛からないし
わたしは働くことが楽しみでしかなかったから
なんていう一石二鳥なアイデア!と
中3の進路指導で、本格的に親も交えて将来を見据え始めた時
賛成してくれると思って自信満々、最高の判断と自負していたら
まさかの予想外な真逆の反応。
高校だけは行ってくれと言われてしまったのだ。
今思えば、そう言われて呆気なく夢を諦めたんかい!ってツッコミどころ満載な、所詮そんなもんかな流れのよう。
だけど、実際は
自分でもその後何年も何年も
思い出せない戻れない取り戻せないジレンマ…
中3のある時から
あれほどまでに持っていたあの熱い気持ち
スコンと抜け落ちてしまったというか
反対されてもやっぱり…諦めきれない!って思えてたらどれだけよかったことでしょう。。
なんというか、白紙…真っ白…
実は未だに、むしろ美容師になりたかった自分
頭ではわかるけれど、記憶喪失…って例えで合っているのかわからないけれど、思い出せないままなんだな…
憶えているのは急きょ受験を考え出し、先生へどうしたいか伝え始め、自分の現状の成績じゃ公立は難しいと言われて、最終的には商業科を受験出来たけれど、2校とも…落ちちゃったんだ。
ただただ、お金がかかることにどうしようもない気持ち…
罪悪感…自分ってダメだレッテル…
とにかく、あの時の、落ちていたあとに親に連絡するために利用した公衆電話
あの時のあの風景のあの心境は、今もすぐ思い出せる。
自分に出来ることは
2校の私立高校、どっちを選ぶか…
制服が安いほう。通学の運賃。
とにかく、お金がかからないほうを優先させることだった。
そこから、わたしの高校生活というのは
どこか、親のための高校生活として
ただひとつ
現に高校へ行くのだから、ちゃんと卒業しよう。
そう決めて、無事卒業はした。
申し訳ない気持ちと私立でお金がかかってしまう罪悪感に苛まれながら
楽しみはヤクルトスワローズの試合に行くこと
SMAPのライブに行くこと
学校終わりのバイト
ただひたすら喋りながら歩いて歩いて街をうろつき、色んな服屋に出入りして
ポケベル…プリクラ…カラオケ…写真撮る、ひたすら撮る。
高校時代は、スーパーの試食販売を高校生でも許可してくれた事務所があったおかげで、今で言うスキマバイト的な感覚でランダムに単発であっちこっち色んなスーパーへ行って、覚えているのは特に『米』。
炊飯器で炊いたお米を一口大のサイズにラップでくるみ、ごま塩なんかかけてさ、やってたわ。
色んなスーパー、色んな人間模様…あるよね。
ある時は、どうしてもハンバーガーショップで働いてみたくて、高校生NGにしてるとのことだったけど、OKもらえてバイト出来たはいいんだけど…
一番は、一番長かったのは
高校のクラスの仲間が元々バイトしていたところに募集中だったかいつの間にか、たむろする場が働く場へと変わり…定期的に休日も働いていたっけな。
ここでのことは、仕事というより…
ちょっと違った目線で、書きたいことが…ね
あるんだよな( *´艸`)
そしてわたしは高校卒業と同時に
今ではさほど…だと思うけど
フリーターになった。
当時はとんでもない勇気だったよ。
だけど、先生へこう伝えたんだ。
『きっと、何かしら力になってくれて無事就寝先が決まったとしても、すぐに辞める…続かないと思う』
『だから、わたしは就職しません』と。
高校3年生、東京へ行きたかった私は
ヘアメイクかダンス&ボーカルのどちらかの専門学校に興味を持ち、サマーセミナーへも行き、とにかくわたしはバンタンへ行きたかったんだと思う!
美容師という夢を喪失して、高校3年間で再び見つけた夢。
呆気なくまた、学費で無理と言われ終わった。
わたしはただ、一度でいいから
自分の夢を応援してほしかっただけなのに
一番は、そこだった。
わたしも、みんなみたいに
こどものために…ってね、一度はしてもらいたかったのかもしれません。
とにかく親と自分の価値観は見事に合わず
なによりも、夢は見ちゃいけないものだと思い込んでしまっていたんだよな。
だから、簡単に諦められるわけで。
そしてわたしは
自分は社会不適合者としか思えず
高校卒業後は思いっきり精神を病み
人も社会も全てがこわくなってしまい
それなのにわたしはなんたるドSか
逆境を乗り越えることに邁進し出す始末。
心はしんどいのに、週5で7~8時間労働してたら文句ないだろと言わんばかりに
自分が納得いくまで、色んな仕事をしてみたい。それが出来るのは今の、この若いうちだ。
た、なんとなく25過ぎていつまでも定職に就かずいるのは…と思う気持ちもあったから。
…時代だねぇ。
なんとなく、タイムリミットを設けていたんでしょうな。
いつもどこか、世間体を気にする人目を常に自分へ向けながら
ずっと自分にムチを打ち続け、色んなアルバイトをした。
ここまで書いておいて、いざとなるとちょっと怯むのは、そんな大したバイトしてないしな…
記事にするほど大してオモシロいこと…ないよな
あんなのやこんなの、どうせならレアなやつ、しとけばよかったぁぁぁ( ̄□ ̄;)!!
あとの祭りじゃ。
とにかく自分にダメダメダメレッテルを貼り続け、一時メンタルやばくなったはずなのに、絶対病名なんかつけたるもんかと自力で克服したるわ!と、ドS根性丸出しで突き進んだ暗黒時代は2000年をまたぎ
なんとなく、なんか書きたくなったので
書くことに決めました。
お誕生日を機に。
本当はキーボードでひたすら
出来ればもう一日中、文字を打っていたい
それほどまでに入力が、気持ち悪いくらい好き…
なのに、スマホでポチポチタッチして打ってるおバカさんですけども
アウトプットしていかないと隙間、出来ないしね。
アカウント名も説明書きも一新しました。
誕生日、終わってしまってからだけど。
誰かの役に立てたらいいなと思うまでで
とにかく書いていこうと思ってマス。
2025.01.05…もとい、06
MAKIKO