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ペットの癒しの力にはかなわない

カウンセリングをしていると、
ペットの癒しの力にはかなわない
と思わされる時があります。

人に言えないこともペットには話せる、
ペットの方が気持ちをわかってくれる、
と言う人もたくさんいます。

ペットは、
 余計なことを言わない
 あれこれ解釈しない、決めつけない
 一方的なアドバイスもしない
 自分の話をしない
(もちろんできないからではあるけれど)
 ただそばにいて、触れさせてくれる
 ときにはすり寄ってきてくれる
 ぬくもり、やわらかさ、触れあう心地よさをくれる
そんなところに癒されているのではないでしょうか。

ひとり暮らしをしていたとても若い頃、
(まだカウンセリングなど知らない頃)
夜遅くに電話(当時は固定電話)をかけてくる
2人の友人がいました。
たいていはすでに寝ているところにかかってくるのです。
意識がもうろうとした中「ふん、ふん、うん、うん」と
相づちをうつのがせいいっぱいです。
話の内容なんて頭に入ってきません。
朝、布団の中に電話機が転がっているのを見て、
夕べ電話をしたまま寝てしまったんだ、
とわかるときがあるくらいでした。

ある日、珍しく遅くまで起きている夜に電話が鳴り、
意気揚々と電話に出ると、
「えっ、起きてたの?!」
と夜遅くに電話をかけてくる友人の驚いたような声。
「どういうこと?!起きてちゃ悪いの?」
とびっくりして言うと、バツが悪そうに
「あの眠たそうな声を聴きたかったんだよね」
と言うのです。

どうやら、眠れない夜にたわいのない話をしながら
私の眠むそうな声を聴いていると
眠りにつきやすかったようなのです。

もう一人の夜遅くに電話をかけてくる友人からは、
それから何年もしてから
「あの頃の自分は、とてもつらくて孤独でいたけれど、
 あの電話でどれだけ救われたか」
とまるで命の恩人かのように感謝されて本当にびっくりしました。

今思うと、寝入りばなで私の理性は機能していないので、
話の内容ではなく、声の調子に自然に同期して
相づちをうっていただけでした。
相手はひとしきり、たいわのない話を邪魔されずに聴かれることで
理性ではなく、心が満足して眠りについていたのでしょう。

自分がプロとして人の話を聴いたり、
共感を教えたり、共感するようになり、
ますますただ聴くことの大事さも難しさも身に染みて感じています。

本当につらいとき、どん底のときは、
どんな励ましの言葉や、前向きな言葉よりも、
穏やかにそこにいてくれることが心の支えになる
頭でわかっていても難しいことです。

苦しんでいる人、悲しんでいる人を見ると
ついついそこから抜け出させてあげたくなって
余計なことをしてしまいがちです。
相手との境界線を失ったり、
自分の似たような記憶が想起されてしまったり、
”苦しんでいる人を助けてあげられない”という
無力感や無価値感をごまかすために

そんなときは、自分の気持ちや
「自己価値」の課題に向き合わなければなりません

言葉の使えないペットのような寄り添いと
言葉を使えるからできる共感の両方ができるようになりたいものです。

そのためにもこれからも皆さんと一緒に
日々揺れ動く自分の気持ちに向き合っていきたいと思います。


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