話すこと、書くこと
■話すことと書くこと
どちらも言葉を用います。
そして言葉は、生物の中でヒトだけが手に入れたコミュニケーションの手法です。そして言葉には言葉そのものだけではなく声色だったり、語調だったりという要素も含まれます。
これを言語表現(バーバル)と言います。
そして、ヒトは「察する」という他の生物も持ち合わせている本能もコミュニケーションに用います。
ご存知の通り「察する」ことは他の生物にもできます。
危険を察する、相手との強弱を察する。
犬や猫などのペットならば飼い主の感情を察することもあるようです。
ヒトの場合、察するに用いるのが相手の表情と態度(ボディランゲージ)です。これを非言語表現(ノンバーバル)と言います。
つまり、ヒトは
言語表現×非言語表現
で、コミュニケーションを取っていることになります。
■ヒト特有のアレがアレ
仮にヒトとヒトが100%の言語表現と非言語表現同士でコミュニケーションをしていればきっと誤解や行き違いは生まれません。
しかし、仮に70%の言語表現と非言語表現のとき、残りの30%を「察する」でカバーするわけです。
この「察する」が、人間関係を良くも悪くもしていると思うのです。
察することは自分の中だけで行われます。自分の中だけの価値観と照らし合わせて「察し」ます。
すると、過度にネガティブに捉えてしまったり、逆に相手の悲しみを十分にくみ取れていなかったりします。
これが、理解しあえていない=行き違い・誤解という状態の入り口です。
この出口がどうなっているかというと分離(退職、離婚、離別などなど)です。相手に察しさせておいて思考、意識、趣味、嗜好、価値観、これらの相違を日々証明していくわけですから…
そして察するというのは(ああじゃないかな?こうじゃないかな?)と、相手のために思索を巡らせます。
察するにはエネルギーが必要なのです。
本当はもっとやりたいことがあるのに「もしかしたら、あの言葉の意味は…」とか考えないといけないとしたら、あなたはどうですか?
たぶん、それをストレス。と呼ぶのです。
あなたは周りのストレッサ―になっていませんか?
■リーダーならば
特にリーダーという役割ならば。
相手に察してもらうことをできるだけ求めず。
できるかぎり100%の意思を相手に伝えたほうがいいと思います。
もちろん、話すのが苦手な人もいます。
そんな人は書きましょう。
書くのが苦手な人は話しましょう。
どちらも苦手な人はトレーニングしましょう。
トレーニングが嫌な人はリーダーをやめましょう。
■そして相手の立場でね
自分の意思を100%まっすぐ伝える。
これだけではおかしなことになります。
例えば、意志100%でまっすぐ
「君ってホントに仕事できないね!もう辞めてよ!」
って言われたら「あぁぁぁああ!!!」ってなります。私なら。
だからこそ「相手にしてほしいこと」を意志100%で。
「君ならもっとできるよね!一緒にがんばろう!」
がんばっちゃいます。私なら。
というわけで、話すこと、書くことっていうのはリーダーにとって、とっても大切だと思うのです。
■まとめ
・コミュニケーションは言語表現と非言語表現
・人は察することができるが、これが両刃の剣
・受け取りにくい言葉は意味がない
・相手にしちゃだめなことじゃなくてしてほしいことを伝える
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