~I am That! 天界の宝石を探しに~ ムージとポルトガルで過ごした7日間
(August 03, 2019のブロより引用)
この写真の方、どなたかご存知ですか?
彼は、ジャマイカ出身の覚者ムージ(Mooji)。
一見ラスタマンに見えるムージは、南インドの聖人シュリ・ラマナ・マハリシの弟子であるパパジの弟子であり、アドヴァイタ・ヴェーダンタ(不二一元論)を説いています。
この難しそうな言葉はさておき、ヨーガや瞑想に特に興味を持たなかった若かりし画家のムージは、移民として移り住んだロンドンにて、キリスト教神秘家から神秘体験を授かり、その後神の恵みに導かれるように北インドのパパジの元で完全に覚醒されました。
現在はポルトガル南部の自分のアシュラムで暮らし、主にインドとヨーロッパで開催されるサットサン(覚醒した者と交流する集まり)にて、真理を求めて世界中から集まる人々を目覚めの道へと導いています。
今、想像を超えて起こっているMass Awakening(集団覚醒)の流れと共に私も宇宙の声に呼ばれたようで、この9月末から1週間ポルトガル南部で開催された、ムージのサイレントリトリートに参加してきました。
世界中から集まった参加者は約850名!老若男女こんなにも沢山の人が真理を求めてやって来たのかと思うと感激のあまり涙が出そうでした。
1日2回行われるサットサンは約3-4時間、ムージの聖なる言葉はヨーロッパ圏の5言語に同時通訳されます。
サットサンの前後に演奏される音楽やバジャン(神を賛美する歌)はインド音楽だけでなく、チェロやバイオリン、ピアノ、アコースティックギター、民族楽器など約15種類の楽器が入れ替わり美しい音を奏でていました。
(今、想像を超えて起こっている集団覚醒)
期間中一切誰とも話しませんでしたが、ムージのお話はとてもユーモアに溢れていて、沢山笑わせてもらいました。
あんなにも沢山人がいたのに、ムージのお話に聞き入っている時は、何だか二人きりで親密に話しているかのようで、美しい波動を放つ彼の言葉は、信頼する力でみなぎる私のハートを大きく揺さぶりました。
バジャンやラフィング・ヨガ(笑うヨガ)では解放的に歌ったり、笑ったり、踊ったり。
サットサン中には感情の解放や、覚醒に至る過程で、沢山の人が泣いたり、わめいたり、突然笑い出したり。それを周りに気遣うことなく、当たり前に出し切れる環境であるのがどんなに有難かったことか。
リトリートも終盤に差し掛かったある日、サットサンでムージが「現代人は予定を入れすぎで、予定が入っていないと不安になる人が多い。そんな事前に決まりきった予定をこなす人生なんて面白くないじゃないか。日々を即興的に生きることで次々と魔法が起こり始めるんだ。」と話していました。
その後、いつものようにサットサンホールを運転手付きのバンでムージは出られ、ゆっくり進むバンの周りにはいつものように沢山の人がムージの抱擁を求めて集まっていました。
私は特に抱擁を求めるわけでもなく、遠くからその様子を眺めていました。
すると、突然その人だかりの間に隙間が見えました。その瞬間、何か魔法にかかったように、気がついたら私は車に近づいてゆき、車の窓から身を乗り出しているムージから抱擁を受けているではありませんか!
愛の香りが漂うムージに抱きつきながら、彼はこんな言葉を私の耳元にささやきました。
ム:(私の背中を叩きながら)Very good very good!!
私:I love you!
ム:私もだよ
私:本当に、とても愛しています
ム:君は僕が示し続けている「その場所」は何処かわかったかい?そこに居ることはできるかい?
私:はい
ム:よしよし、そのままそこに居続けるようにするんだよ。
私:はい、ありがとうございます!
(私とムージ)
抱擁を終えてムージから離れた瞬間に、まるで全てが溶けていくかのように、涙が滝のような勢いで溢れ出したのです。
周りの事も一切忘れ、ただその大きな涙の海へ深く潜っていくかのように、泣いて、泣いて。
時間を忘れ、昼食を取るのも忘れ、私はとても静かで優しい愛の大海原を漂うように長い間瞑想し続けました。
ムージの愛、アーナンダマイ・マーの愛、パパジやラマナの愛、私をここに連れてきてくれた神の恵みへの感謝。家族や友人への感謝の気持ち。
全ては何てこんなにも完全なんだろう!!
その時、今まで聞いたことのあるようなヨガの経典の言葉を、マインドではなく、愛する力のあるハートでダイレクトに体験したような感じがしたのです。
(写真左から、パパジとラマナマハリシ)
ムージは「無になりなさい。静かになって、あなたに与えられる導きをよく見て、あなたのハートが長い間ずっと切望していた真理を見出しなさい。」と言い続けていました。
自分のエゴ、アイデンティティ、間違ったセルフイメージ、こういうものを一切捨て去ること。
本当の自分であり、私達の超自然体の姿であり、内なる静寂でもある神は遍在するけれども、エゴが存在する限り神は絶対に姿を現すことはないのです。
リトリートが終わり、リスボン滞在中に、私はカバンの中に入れていた財布を盗まれてしまいました。その中には現金の他にパスポート、クレジットカード数枚、イタリアの免許書、IDカード、健康保険証など、全てのIDが無くなってしまったのです。
そしてパスポートが発行されるまでの数日間は本当に「アイデンティティ無し」で生活する事を余儀なくされました。
海外生活は長いけれどこんな事は初めて。それはムージから冗談混じりの象徴的なイニシエーションを受けたようで、彼がどこかで私にウィンクを投げかけているようで、笑うしかありませんでした。
「真理はシンプル。しかし、真理の探究者が複雑なのです。」とムージは言います。
悟りがこんなにも難しいのは、制限のあるマインドの中でぐるぐる回り続けているから。
私たちはまだ、何もしなくてもいいということが納得できてないからです。
頑張って"成ろう"とぜず、そのもっと深くにいつも在るもの、日々のマインドの動きを眺めている"その存在"にただ繋がること。
そしてそれは、必死に勉強したり修行するから到達されるものではなく、神の恵みによって与えられるものであり、もう既にここにあるものなのです。
20歳の頃、空を眺めていてハッと思った事がありました。
「私の心は、いつも空のように澄んでいて明るい。でもマインドが雲のように私の心を隠してしまう。」
それに気づいた時に、心の雲が去って気が晴れたのを今でも覚えています。
そしてまさに同じ言葉を、このポルトガルの地でムージからも聞いたのです。
リトリートを終えて、今までにない程神を愛するという感覚が自分の中に湧いてきています。神の事を思うととても愛おしく涙が出てきます。自分でもびっくりするほど...
"外の世界を追い求めるのはやめて
空よりも広くて
海よりも深くて静かな内側へと
天界の宝石を探しに行こうよ
勝手に現れては消えてゆく幻影は放っておいて″
ムージを愛しています
あなたを愛しています
ありがとう、ありがとう、ありがとう
2018年10月 とても静かな繭の中より愛を込めて
(Photo : courtesy of mooji.org)