言葉と数 1
日本神学における数理序説より
「物事を認識するということは、言葉によって認識するのですから、言葉の中には、自然のパターンを投影した、構造性がありその中にメカニズムも、別の隣接の言葉が、トポロジカルに連繋されているといえます。認識すること自体が、心的作用ですから、心的作用をもって言葉を発し、表現し、文字として固定化するということは、その中に、宇宙の相を、潜象として内包しているといえます。別の角度からみますと、物質における言葉とは、一体何かといいますと、現代科学でいうところの、元素の周期律もそうでしょう。これば、科学という場からみたモノの言葉です。そうしてみると、言葉というものは、精神におけるものと、モノにおけるものの、両面を併せ踏まえたものが、言葉であります。数も文字も言葉です。話すのもまた言葉です。その意味では、三種の相を内包しているといえましょう。だから一体における別相といえます。だから、生命の本質を追究する場合、数と文字と言葉を三結びして、一点に煮詰めれば、その本質に、一歩も二歩も肉薄できると思います。言葉は言葉、数は数というような、バラバラなとらえ方では、本質に近づくことは難しいことです。このことはまた神とは何か、その本質は何かを求める場合にだって、やはり同じ理がなりたちます。」
「物事を認識するということは、心的作用ですから、その心的作用をもって言葉を発し、表現し、文字として固定化すということは、その中に宇宙の相を、潜象として内包していると言えます。つまり文字には自然のパターンを投影した構造性があると考えます。」
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