左右手(まて)
秀真伝 天の巻1 きつのなとほむしさるあや【東西の名と蝕虫去る文】に
コノウタオ ミソメオ「マテ」ニ
この歌を 30人の侍女を左右に
という箇所がありまして(詳しくはまた別に書きますが)
「まて」ということばが出てきます。
「左右」という意味だそうです。万葉集にも「左右手」と書いて「まて」と読ませているところがあるそうです。私は読んだことがありません(^_^;)。
両手を開いてちょっとまて〜という時にやる「まて」ですね。マテ貝のまてもそうですね。これは「真手」。片手に対して両手の意味です。
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合掌の状態からちょっと手を(10センチぐらい)離すと両手の間には何もありません。両手は(指が)5(本)と5(本)なんだけれども真ん中は何もない。その間というか空間が「マ」です。両手を合わせれば10なんですね。
ちょっと何が言いたいか分からないかもしれません。
5と5をプラスとマイナスと考えるとそれは0になります。そのままプラス・マイナスを考えないと10(全て)。つまりなにもない0は10の次元で考えないといけないと言うことが言いたいわけです。
これに関連して、0はインド人が発見したといわれていますが、縄文人はこの0と10の関係をよく知っていまして、
チカモリ遺跡や真脇遺跡には環状木柱列(かんじょうもくちゅうれつ)には画像のような遺跡があります。わざわざ半裁にして10本立っています。これが両手の指でマテの形にしたように見えます。
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春分点は、太陽が0点に来た時(季節によって日の出の位置が西、東に振りますが)春分点の時はちょうど真ん中に来ます。実はこれが0の発見なんです。数霊学の暦を学ばれますと1と10の互換するところで、そこが0点になります。
このことは、お相撲の横綱の土俵入りにも反映されていまして、前から露払い、横綱、太刀持ちの順番で入場しますが、東の横綱の場合は土俵際で太刀持ちと露払いが逆転します。西の横綱の場合はそのまま並ぶんです、まあ、入れ替わらないと左から太刀持ち、横綱、露払いの順に並ばないからと言えばその通りなんですが、私はここに数霊の理を感じました。
https://youtu.be/01J6B86ekWc?si=TiZmCThKOQwXT1ml
さて、面白いことに0と5-5(10)に関して興味深い事象があります。
冬の終わりに五弁の梅の花が咲き、0点の春分点を過ぎて、春の初めに五弁の桜の花が咲く。これは自然の事象を通して数の理を教えてくれているようです。数霊は法則というよりも自然律と言えます。面白いと思いませんか。