田上数霊学初級導入編
田上数霊学初級導入編
田上数霊学では一瞬といえども幅があると考え、これを許容空間といいます。
ですから三次元空間の象徴として正六面体を描く場合、正六面体の上面と、下面を繋ぐ四つの対角線の交点が時間になります。
普通、数学や物理学ではX Y Z 軸に直行する軸を時間軸と考えますが、田上数霊学では時間があって空間あると考えます。時間と空間は一体という考えです。
そして我々が三次元空間を認識できるのは、空間の中に(生命)としての肉体空間があるからで、その中に霊が宿り肉体を通して空間を認識すると考えます。人間あっての三次元空間なんです。
ですので正六面体の中に肉体空間としての正八面体が入ります。(六方向に軸を持ちます。)
田上数霊学では空間と言った場合は必ず正六面体と正八面体とのペアで考え無ければならないと言うのが基本になります。
ですから、中心には正六面体と正八面体の二つの中心が融合しています。外部の空間における外なる時間と、肉体空間の内なる時間です。時間即命です。
(現在まで、この内なる時間の研究がほとんど、なされていません。内なる時間には波動がでます。)
この中心の表現が陰陽玉(メオダマ)で現在では太極図と呼ばれていますね。
ですから、現象というものは、内なる生命の時間(潜在世界)を回転してくる外なる時間が引っ張り出してくる形で生じます。
どのように引っ張り出してくるのでしょうか?
では、この正六面体を人生一生の空間と考えてみましょう。人生の許容空間です。その中の正八面体は自分の生存期間の肉体空間になります。
人生一生の空間がなぜ正六面体で表されるのかと言う疑問がでるとは思いますが、私達の人生は、正六面体の上下を省いた、側面の四面に投影されます。人生の春夏秋冬が四面に投影されます。
中心には昔の映画館のように映写機があって側面のスクリーンに映し出されるイメージです。
または、一生の映像が入っているクリスタルに今、今、今という外なる時間によって照らしだされ、浮き上がってきた玉が次から次へとスクリーンに当たって現象になる。そんなイメージです。
先ほどの回転してくる外なる時間という表現に?と感じた方があると思いますので、ここでもう少し詳しくこの正六面体と正八面体のセットで時空間構造を考えてみましょう。
この二つは一体で螺旋を描きながら下から上へ上っていくと考えましょう。上が下になり、右が左になりながら。
その時、視覚的に正六面体が六角形になるときがあります。
正六面体の上面の一つの頂角が対角線を通して下面の頂角と融合する形ですね。
詳しく言うと、正六面体の上面の頂角と正八面体の上面の三角形△の中心の一点と二つの立体の中心核◎、正八面体の下の三角形▽の中心の一点と正六面体の下の頂角の五点が一点に融合する形になります。これを重合場といいます。
五点が融合したとき正六面体の頂角は一転して空間から時間に変換され、時間座標となります。カタカムナで言う互換重合作用です。ですからこの頂角を空間の中に内在する「点時象」と言います。
この正六面体の二つの頂角が中心で一点になったとき、互換重合作用によって中心から正八面体の軸の方向に角(つの)が出ます。
正六面体の対角線の条件が、正八面体の六つの軸方向に変換されるわけです。
正八面体の軸が伸びて、正六面体の中心に出ます(正八面体の頂角が正六面体の面の中心と接合します)。この接合状態が先ほど言った、玉がスクリーンに当たるイメージです。
この場合、正八面体の六つの軸は潜在の条件ですから、時間の条件になります。
正六面体の面の中心に正八面体の頂角が接合することによって、空間に時間が混入することになります。内なるものが外に湧出される一点が現象の座標となります。
この一点を「点事象」と称します。そこから、波動のように現象が広がります。面作用は現象の広がりととらえます。
これが運命(人生の)の拡大です。
これを我々数霊学徒は波動論で捉えています。
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