神[痴]学
神[痴]学
一者でもあり、全てでもある全[痴]全能の神様は自分に問うた。1とは何か。
そもそも1を問う場合、1だけで1を問うことは出来ない。だとするならば1というものはそもそも全体における1なんだ。だから他の中における1を問わなければならない。そこで神様は1であり、10である。と言いながら円(10)を描いた。
1から10を作ったが、このままでは1から10を見ることはできるが、1を見ることは出来ない。そこで神様は10であり1であると言ってVecica Picisを描いた。
そして、10の方から1を眺めてみた。なるほどこうすれば1の存在が見えるようになった。そこで神様は1のまわりをぐるぐる回りながら、1の存在を眺めた。「まわりてめぐる」と歌いながら1を内から眺めたり、外から眺めたりした。面白いことにその1は位置をかえるごとに様相を変化させた。同じ1でも眺める位置によって姿が変わるのだ。1は一つではなかったのだ。
神さまは1を問う場合は必ず10の存在が必要だということを理解した。それとともに、1は位置によって様相がかわるということを発見した。つまり神様は位置によって自分の姿が変わることを発見したんだ。
神様はもう少し詳しく見たいと思って、双眼鏡で拡大してみた。
すると1と10が角度を変えた。左向け左。
ありゃ、神様は後ろにも数が隠れていることを発見した。
12345678910
10987654321
この数列では中心に5-6と6-5がくることが分かった。そうすると1と10との関係を見るためには、拡大した中心5と6の間を見る必要を感じた。中心である第一者への問いかけがいまや拡大した中心である5-6と6-5を問うことになったんだ。
5-6
|×|
6-5
その5-6と6-5というのは一体何だろう?そして5-6の中心って何だろう。
神様は長い間Vecica Picisの図を眺め続けた。
https://youtu.be/q6uSS9WdwCg?si=2SqI34hN9EfFHdbA
そしてずっと眺めているとサンドイッチマンの伊達さんのように「興奮するなあ」といってなんだか興奮しはじめた。
そしてなんとこの√3エッジ(縦の線)のところに「いちもつ」をつっこんだんだ。さぞかし神様の「なに」は大きいだろうとおもったけどヒトナミだった。(って分かるかな (^_^; )
わあっ、宇宙のスペルマ(大放出)が起こった。
宇宙のビッグバン。あ、やばい。
流出論に続く。
https://youtu.be/JIC2wAM757Y?si=d3yMNPl3_-VhIv5Y
ただ、どうして立方体が5-6と6-5との関係なんだろうか?
よく見ると立方体の中に八面体が入っていた。多分正六面体と正八面体の関係が5と6の関係だろうとは思った。
地上に降り立った神様は自然の四季の中にそれを探し始めた。
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