『ブラックミュージックこの一枚』 ビル・ウィザース

いまから20年前の2003年に、『ブラックミュージックこの一枚』(知恵の森文庫)という音楽エッセイを上梓しました。ブラック・ミュージック周辺の100アーティストに関する思いを記したもの。その内容を大幅に加筆修正し、ここで公開いたします。ゆくゆくは新規原稿を加えていこうと思ってもいます。よろしくお願いします。

今回は、ビル・ウィザース。

小学4年になった月の最終日、僕はいきなり生死の境をさまようことになった。
坂道で自転車のブレーキが効かなくなってバランスを崩し、アスファルトの地面に頭をしたたか打ちつけたのだ。

たまたま通りかかった親子が、ビビリまくってドドドと駆け寄ってきたのをおぼえている。
「まいったなぁ、そんなおおげさに騒がないでほしいよなぁ」
救急車を呼ばないと大変だとかいってるんで、ちょっとカンベンしてほしいなあと感じた。娘、「はじめて宇宙人を見た!」みたいな目つきで母親の背中の向こうからこっち見てるし。

でも、呑気なこと思っていたのもつかの間。

いきなりとてつもない不安感(のようなもの)に襲われ、そのまま夢のなかに引きずり込まれるみたいに朦朧としてきて、あっという間に倒れました。

あとから聞いたら、20日間も意識がなかったそうですよ。

20日間といえば約3週間である。夏休みのおよそ半分である。主治医は「99%、命の保証はできません」とドラマみたいなことをいったそうだが、そりゃ3週間も意識不明なら死んでるのと同じだ。意識なくしてるだけに本人には知ったこっちゃないのだが、 少なくとも目をさますのを待っている身にとっては。

それに、さっさと意識を失ったもんで当人には大怪我したという実感がまるでなかったのだ。声すら出せない状態だったが、あたかも昨日から今日を迎えたような気分のままで目をさました。

ベッドの真横の椅子に座って、母がが昼食のおにぎりを食べていた。あとから聞いたら、それはばーちゃんがつくって差し入れたものだったらしい。どおりで、見慣れたおにぎりとは違っていたわけだ。それがもう、とてつもなくうまそうに見えた。だから、なんとしてでも食べたいと思った。当然、食べ物なんか口にできる状態ではないのだが、なにしろ自覚がないのだ。ないと都合がいいのは借金と自覚である。どうしようかと迷ったあげく、手のひらを開いた左手をさっと伸ばした。

ひと口よこせってことね。

母は驚いていたが、「食べたいの? じゃあ、ひとくちだけね」といいながらひとかけらのおにぎりを手に乗せた。食べてみたところ、これがウマイのなんのって。この世の食い物とは思えなかったです。まさに「心に残るあのごはん」。だが医学の常識 からいえば、それは「あってはならないこと」だったのだ。

たしかに、生き返ってすぐにメシ食わせろなんてやつはあんまりいない。

結果、院長から主治医から看護婦からなにから、面会謝絶の札がかかった2階の個室は あっという間に人の山。奇跡だといわれ、でもなんのことだかよくわかっていない僕は、そのまま順調に回復していったのだった。杉並区立若杉小学校の4年生を襲った突然の悲劇は、こうして幕を閉じた。めでたしめでたし……となれば美しいのだが、現実はそんなに甘くなかった。ほんとうに辛いのはそれからだった。

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