さよなら私の宇宙船。−この地球で生きることについて−
このお話はただただ個人的な私の中、奥の奥の方で起きてたお話です。
私は宇宙人だった。
というのも子供の頃からズレていて、同じ子どもたちの言葉をしゃべることができなかった。だから、意思疎通ができなくて、私はただただ地球を観察しにきた宇宙人のように、突っ立っているだけ。
周りの人に私の言うことが伝わらない私は、
一人の世界を作りその縁に佇んでた。
さみしくて、でも自分の世界を人に壊してほしくなくて。
地球上の人とは、表面上の付き合いでなんとかやってきた。
他人を近づけなかったのは理由があった。
自分の世界を壊されるのが、すごくすごく怖かった。
子どもは子どもなりの残酷さで、大切なものを壊していくから。
嫌われること、怒られること、誰かを傷つけること。
大きな声で自分の声が否定されること。
地球は野蛮で不吉だった。
私は、自分を守った分だけ地球から遠ざかり、
また一人宇宙への旅をしていた。
どうしても地球との接点を持つ場合、
私がとる交信方法は、誰かの期待に答えることだった。
その願いを受信して、行動に移す。それはとても簡単なことだった。
期待を聞く限り私は、地球にいる価値がある。理由がある。
けれど、飛行をはじめて30年。
そして、それは、はじめから期待じゃなかったことに気づく。
「こうなったら便利だな」という人の声を聞き続けただけだったのだ。
私のパラボラアンテナは常に外を向いていた。
その受信量が許容範囲を超えることも多くなってきた。
そして、
バグが多くなってきた。
ありもしない声が受信されてくる。
私への悪口だ。
他人の言葉に耳をすますうちに、
自分が一番聞きたくない言葉を自ら生成するようになった。
「笑い方が気持ち悪い」「役立たず」「何を喋っているか意味がわからない」「いいように使ってやれ」「何をやってもうまくいくはずがない」「お前は無能だから」
笑えなくなった。喋れなくなった。
何をしても自分が利用されているとしか思えなくなった。
苦しくて苦しくて苦しくて。
壊れたアンテナがやっと受信したのは、私のSOSだった。
私はカウンセリングルームの扉を開いた。
普通の病院とは全く違う装い。
落ち着いて、家庭的な雰囲気の待合室は、逆に異常性を打ち出しているようだった。
名前が呼ばれて部屋に入り、そして、自分のことを話し始めた。
否定されないという安心感から、自分の世界を口にした。それまで一人だけの持ち物だった、私の国。誰にも言っていない自分の柔らかな世界を口に出すたびに不思議な気持ちになった。
霧がかかったように薄ぼんやりしていた場所は、喋るたびに立体化され、地球の人に共有されていく。不思議な感覚だった。
怖かったのは、否定されて自分の世界がなくなってしまうこと。誰よりその世界が脆いと思っていたのは自分だった。
口に出す、受け入れられる、ということを繰り返しているうちに少しずつその世界はしっかりとその輪郭を見せていった。
面白い材質でできていて、とてもとても心地が良かった。熱い心と冒険がたくさんしまってあった。
そして、頑丈だった。
荒波があたってもへっちゃらだった。
守るのに夢中で、知らなかったのだ。
否定されたくらいでは、私の国はなくならないことを。
そして、受信専用だったアンテナが、送信もできるように少しずつ改造されていった。
自分の気持ちも受信できた。やりたいことは、たくさんあった。
誰に決められるわけでもなく、自分が決めたからそこにいる。
感情は誰かのためではなくなった。
誰かにとって嬉しい感情をまっさきに出さなくても良い。
思ったことを口に出せば、諦めなければちゃんと伝わる。
そして、私が感じたことは信じるに値するものだった。
地球に降り立った私は、
同時に素晴らしい世界が自分の中に広がっているのをしった。
新しい目線で見た地球は、すべてが祝祭に満ちているようだった。
楽しいことがたくさん!面白いことがたくさん!自然と笑ってしまう世界。
きっとこれから、ものすごく傷つくことも、人を傷つけることだって、たくさんあるだろう。
でも、立ち止まって振り向けば、頑丈な私の世界がそこにある。私が私である限りそれは変わらない。
結局、宇宙船から降りてみたら、
地球はもっと豊かで、世界は美しさに満ちていた。
これが地球かと、私は旅をやめることとした。
さよなら私の宇宙船。
今まで、私を守ってくれてありがとう。
これからは、地球で楽しく生きていきます。