2015-07-06_新潮

編集スパルタ塾を自主留年します。

2015年3月。かなりの行き詰まりを感じてました。その行き詰まり感たるや。生き詰まりと書いても間違いじゃないでしょう。軽めのうつだったので、歩いていても80mごとに休憩が必要なお体。なので、駅の階段もつらい。東京駅で歩けなくなり、車いす搬送されるほどでした。コピーライター職になりたくてなれなくて。死ぬほど行きたかった会社の最終面接で落とされて。好きな人には振り向いてもらえない。自暴自棄になって呑んだら、記憶をなくしてホテルの床で目覚める。父親のスネを髄までしゃぶっているくせに、シカトする。

そんな自分に自己嫌悪してしまって。息をするのもやっと。東京駅で倒れてからは、会社にも行けなくなってしまいました。

なにか掴むものを、と手を伸ばしたときにしったのが、編集スパルタ塾。

これだ。と。

最終面接の内容はプレゼンでした。企画をする。それを仕事にしたかったのにも関わらず、人前でうまく喋れなくて落ちた。そんな私にはピッタリだった。助走期間のためにスタートしました。塾というのにふさわしく同じ門のもと集まった塾生。あの人の発表はいまいちだけど観点はパない。とか、この企画は絶対自分じゃ無理だ悔しい。とか。すっごく難しい企画なのに、私がしょっぱなプレゼン、見事敗退とか。楽しいっていうか刺激的。手帳に書いた目標はMVPを絶対取る!!!!!



が。



その結果、通ったのは全部で4回ぐらい。

え、待って。

13万払ってるよ。

家賃すら滞納気味なのに。

お金がないのに通い始めたはいいものの、その後別の会社に内定をいただきまして、すこし忙しくなり、パワハラにあい、仕事を辞め、さらに忙しい会社にいってしまったんです。毎日、企画とか制作進行とか制作進行とか制作進行とかしているわけです。週に1回は徹夜。もちろん遊ぶ以外は仕事していて。その結果として、スパルタ塾には全然通えなくなってしまいました。行きたかったし企画も沢山出したかった。パワポになっていないだけでまとめた企画もあった。お金がもったいないと何回も思った。そのたびに何回もあのワードがよぎった。


だって忙しかったし。


一番したくない言い訳。初めての職種で同じような企画をするなか、まして平日の20時。こんな言い訳をしちゃうのが悔しかった。

だから、決めました。私、留年します。

お金ないし、今だって服に穴が開いてるけど、さらにお金出しちゃう自分。馬鹿じゃないの。もう一度通うか、どうするか悩んでいる中。最後の発表があった。この課題が、迷っている私のためのように見えた。

【課題】「この一年間で学んだ上で考えるあなたなりの編集の定義と、あなたが編集力を使って、いかに世の中に貢献出来るかを説明せよ」

サバイブしてない私が、なんとなくめでたい場にいる。発表する人たちはサバイブした人たち。私の知らない一体感に包まれ、ラップする人、正当に褒められている人、きちんと悔しがれている人がいる。その時間、私は傍観者だった。ガラスの壁に向こうだった。まるで囚人の面会のように、自由に発想を巡らせる人たちをみていた。羨ましい。ただ羨ましかった。あきらかに全員のプレゼンは違っていた。データばっかりのだったスライドは、各々の主観からはじまっていた。その観点も個々に変わっていた。その時間で決めました。

プレゼンできない悔しさとか、酷評されたときの頭のなかがチリチリいう感じを味わいたくて。もう一度打席に立ちたくなった。だから、通います。

ガチで身銭きります。

4期のみなさまよろしくお願いします。


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