青春18きっぷ 2024冬② 境港へ
青春18きっぷ1日目は一つ前の投稿のとおり、日帰りで京都に行った。
2日目以降は下記の条件でプランを立てた。僕は敦賀市内に住んでいるが、最寄りの駅はJR小浜線粟野(あわの)駅である。そしてこの最寄りの駅と小浜線の利用頻度があまり高くなく、小浜より先に行ったことがない。そこで旅の条件は以下のとおりとした。
旅の条件その1:発着は必ず粟野駅
旅の条件その2:小浜線を利用して必ず小浜より先に行く
旅の条件その3:日本海沿いにとにかく西に行く
そして決めた行き先は境港。始発で粟野を出て境港に到着するのは夕方6時半頃。終電近くまで範囲を広げればもっと遠くまで行けたかもしれないが、あんまり無理をするのもどうかと思い、また翌日に同じルートで戻らなければならないことを考慮して決定した。
粟野→米子
2024年12月29日(日)
最初に乗るのは粟野を6:26に出る小浜線普通列車東舞鶴行。反対方向の列車が架線凍結(?)で通常の速度が出ないとかで遅れており、まさかのここで列車交換。いきなり発車が遅れる。
途中三方と大鳥羽の間でもやはり架線凍結で速度を落として運行しさらに遅れる。
列車の中で、前日京都で買った志津屋のカルネを食べる。
その後遅れを取り戻すために猛然と走った小浜線は数分遅れるだけで東舞鶴に到着。ありがたいことだが次の山陰本線福知山行までは待ち時間は40分余りある。しかも小浜線の列車がそのまま福知山行として運行される親切運用だ。その間にコーヒーが飲みたかったのだが、東舞鶴駅のセブンイレブンのコーヒーマシンは故障しておりコーヒーの代わりに涙を飲む。
山陰本線福知山行は予定通り8:56に東舞鶴を出発。
予定通り9:37福知山着。
次の10:12発城崎温泉行はマットなグリーンのクモハ112系の国鉄車両。懐かしさに思わず声を上げる。
軽やかなモーター音、容赦のない雑な振動。とてもよい。11:32着。
城崎温泉で20分ほど待って11:56発鳥取行に乗り換える。やってきたのはオレンジ色のキハ47。
クモハ112と違い鈍重なディーゼルエンジン音。雑な振動は変わらない。とてもよい。城崎温泉の先の日本海沿いは雪景色が続く。ホームから温泉と海が同時に見えるところもあって、こんなところがあるのかと驚く。車窓を眺めながら城崎温泉で買ったクラフトビールとのどぐろ寿しを楽しむ。14:00着。
次の米子行は名探偵コナン列車…。これまで国鉄車両を楽しんできたので、名探偵コナンにまったく興味のない僕は落胆を禁じ得ない。なんやねんこのダサい列車は。他に選択肢もないので仕方なく乗り込む。14:50発で米子着は17:39。乗車時間は実に2時間49分。鳥取県ってそんなに広いのか。
乗車時間が長いのは、途中駅の停車時間が長いということでもある。途中、青谷(あおや)という駅で長時間停車する。駅の隣に大きな廃工場があり、古びた煙突がたまらない。帰ってから調べると、鳥取森田株式会社というところで、衣料染色の企業だったが2013年に事業停止したとのこと。停車時間が長いからこそ出会えた風景ではある。
この青谷の駅で、杖をついたおじいさんが「ここ座ってよろしいか」と話しかけてきたので、もちろんですどうぞと応えた。クロスシートの向かい側に座った、齢八十前後だろうか、おじいさんはそのあとも「どこから来なさった」とか「どこまでおいでじゃ」とかいろいろ話しかけてくるので、本を読んでいた僕は、最初は適当に返事をしていたのだが、おじいさんがあんまりにも話し相手になってほしそうだったので、覚悟を決め本を閉じてじっくり付き合うことにした。
この近辺にお住まいですか?
「生まれも育ちもこの辺ですが、20代の頃は知多半島の常滑におりましたわい」
それはお仕事の関係で?
「そうなのですじゃ。製鉄所で働いておりましてな。◯◯エンという駅の近くにありましたのです」(筆者注:よく聞き取れず。「エン」は「園」もしくは「苑」か)
ほほうなるほど。製鉄所で
「駅前にコンクリートでできた大きな大仏がありましてなぁ」
へへぇ。そんなものがあったんですね
「昭和34年に伊勢湾台風というのが来よりましてなぁ」
ほうほう(伊勢湾台風か。聞いたことがあるな)
「そのときにですな、駅前が水浸しになりましてな。その水がなかなか引かなくて、もうえらいことだったのですじゃ」
なるほど…それは大変でしたねぇ
(少し間をおいて)「そういえば昭和34年に伊勢湾台風というのが来ましてなぁ」
ほうほう(あれ?この話さっきも…)
「あのときはもう胸のところにまで水が来よりましてな。大変じゃった」
それは大変でしたねぇ(???微妙に違う話だ…)
(少し間をおいて)「そういえば昭和34年に伊勢湾台風というのが来よりましてなぁ」
ほうほう。(!!!来た!また同じ話だ!)
「あのときはたくさん人死にが出ましてなぁ。大変じゃった」
それはみなさんお気の毒でしたね…(やっぱり微妙に違う話だ)
(少し間をおいて)「そういえば昭和34年に伊勢湾台風というのが来よりましてなぁ」
!!!(!!!)
「あの台風のせいで、その後立派な堤防ができたのですじゃ。高さが変えられるやつで」
上下扉の付いた防潮堤ですか(おや。違う話だ)
「そうなのですじゃ」
伊勢湾台風の話が二周目に差し掛かったときは大丈夫かなこのおじいさん(認知症的な意味で)と思った。伊勢湾台風の話は都合4回に及んだが、その都度台風の被害を示す内容は異なっていたのでまったく同じ話を4回ループした訳では無い。また4回目のあとは伊勢湾台風の話を繰り返すことはなかったが、それは僕がおじいさんにどこまで行くのか何をしに行くのかを訊いたためかもしれない。おじいさんは青谷の二駅先の松崎という駅で降りて行った。公営のプールでウォーキングするのが日課なのだそうだ。降りるときに「よい旅を」とおっしゃってくださった。
帰ってから常滑の話について少し調べてみた。「◯◯エン」はおそらく名鉄常滑線の聚楽園(しゅうらくえん)駅。確かに駅前に大きな公園があり、聚楽園大仏という大仏があった。昭和天皇ご成婚を記念して造立されたそうだ。そして駅の近くに愛知製鋼株式会社があった。
また、Wikipediaで「伊勢湾台風」を調べてみると、知多や半田、常滑の高潮の被害そしてその後の堤防の整備について記述されている。つまりあのおじいさんの話は正確な記憶に基づいたものであったのだ。おじいさんの話のしかたが不思議すぎて今も狐につままれたような気がしている。
倉吉でも停車時間が長く、その間に途中下車して外の土産物屋で、地元で蒸留しているウイスキーのハイボールを買う。それまでは内田百閒『第一阿房列車』を読んでいたが、百閒先生だって列車に乗っている間は読書などせずにずっと酒を飲んでいた。僕もハイボールで車窓を楽しむ。ちょっとお高いが、まろやかでおいしいハイボールだった。
日が落ちて車窓が真っ暗になって程なく米子に到着。
JR境線
米子からは境港に向かってJR境線が伸びている。盲腸線である。境線は0番ホームから発着しており、もうそのホームから水木しげるカラーに全力で振り切っている。ホームで待っていたのは目玉おやじ列車。名探偵コナンにはまったく興味がないが、鬼太郎は好きなので嬉しくなる。外観はもちろんのこと内装、天井、シートのファブリックまで徹底している。いやこれはすごいな。
一旦途中の中浜駅で下車し、本日の宿にチェックインする。部屋に荷物を置いて再度出かける。
今度は一駅先の高松町という駅から乗り込む。やってきたのは鬼太郎列車だ。外観はもちろんのこと内装、天井、シートのファブリックまで徹底している。いやこれはすごいぞ。
ところで、JR境線の駅はすべての駅に愛称が付いている。米子はねずみ男駅、さっき降りた中浜は牛鬼駅、再び乗り込んだ高松町はすねこすり駅、そして境港は鬼太郎駅である。重要な駅は主要なキャラが設定されており、そうでない駅はあまり知られていない妖怪になっている。ひとつよくわからないのが、米子空港駅がべとべとさんになっており、僕の感覚では米子空港駅ってそれなりに重要そうな気がするのだが、なぜべとべとさんなのか。それとも僕がべとべとさんを知らないだけで結構メジャーな妖怪なのだろうか。でもべとべとしてたら空を飛びにくそうな気がする。やはりここは一反もめんとかじゃないのだろうか。などとやくたいもない想像をたくましくしているとあっという間に境港に到着。一応今回の旅の最終目的地としている(が、列車に乗って車窓を眺めながら酒を飲むのが目的なので、目的地は正直どこでもよいのである)。
夜の水木しげるロード
暗くなってしまってはいるがせっかくなので、自転車を組み立てて(今回もCarryMe輪行)境港の街を散策する。水木しげるロードがライトアップされているとは聞いてはいたが、ライトアップというよりも影絵で、思っていたよりも楽しかった。影絵と妖怪の親和性は高いのかもしれない。
港に出ると海上保安庁の船舶が停泊していた。敦賀市民としては海上保安庁は押さえておかねばなるまい。
その後腹が減ったのでご飯を食べられるところを探したのだが、時間が遅いからなのか年末だからなのか開いている店がなく、駅から少し離れたところにある地元の人が集まっているっぽい魚魚亭というお店に辿り着く。ハイボールとお刺身、カレイの煮付けで夕ごはん。
お店から境港駅までチャリを押してぶらぶら歩いて帰った。
境港駅に現れたのはまたしても鬼太郎列車。この境線を走るラッピング列車は全6種類で、僕は翌日に乗るのも合わせて4種類に乗ることができた。そこそこよい成績なのではないか。
高松町の駅で下車して宿に戻る。本日はこれにて終了。