『ハリー・ポッター』シリーズで学んだ想像力の限界
このブログのタイトルは大人気小説『ハリー・ポッターと賢者の石』に出てくる(でたらめの)呪文「お日様、ヒナギク、とろけたバター」のパロディなのですが、僕は子どもの頃にこの小説を読んでからシリーズの大ファンです。
読書の原体験
僕が初めて本作を読んだのは小学校2年生の時で、担任の先生に当時4巻まで出ていたのを紹介されたのが最初です。今でも読書は大好きですが、そのきっかけとなったのはこの本に出会えたことで、そういう読書の原体験が本作だという人が同世代にはとても多いのではないでしょうか。
この本は児童文学ではありますが、挿絵がほとんどなく、当時の日本語訳版ではかなり抽象的な絵が章ごとの扉絵に描かれているだけでした。だからこそ想像力を掻き立てられ、それが楽しいのですが、今振り返ると子どもの想像力、ひいては「想像力」というものの限界を感じる読書体験だったかと思います。
“小学2年生の”読書体験
本作の舞台はイギリスの魔法を学べる「ホグワーツ魔法魔術学校」という全寮制の寄宿学校です。
英語では「ボーディングスクール」と呼ばれる全寮制学校の存在は、あらゆる小説や映画、マンガで題材に選ばれるものなので、大人になるまでになんとなく知ることになるかもしれません。しかしながら、僕が『ハリー・ポッター』を初めて読んだのは小学校2年生で、「寄宿学校」という存在そのものも知らなければ、映画の公開も1年後の話なので、映像的にも「イギリスの伝統的な学校」というイメージを知らなかった頃でした。
当時そんな前提となる知識もなく読んでも面白かったのは、やはりストーリーやアイデア、その描写や演出の素晴らしさに尽きるのかと思いますが、それでも日本で生まれ育った小学校2年生には想像力に限界がありました。
今でも覚えているのは、当時僕は主人公ハリー達が通っている「学校」を頭の中のイメージでは、自分が通っている日本の小学校の校舎で想像していたのです。
ハリー達が「クィディッチ(箒にまたがって空を飛び、ボールを追いかける架空のスポーツ)」を「競技場」で行っている、という描写があれば、「競技場=グラウンドだよな…」と小学校の「グラウンド」=「校庭」を飛び回っているのだと想像していましたし、そこに観客席からの声援のシーンがあると、校舎の教室の窓から友人達がそれを見ているのだと想像することで整合性を保とうとしていました。
その後、映画が公開された時の驚きは言うに及びません。僕が「カルチャーショック」なるものを初めて受けたのは、本作の映画公開時かもしれません
「子供の柔軟な発想」とは
例えば「子供の柔軟な発想」なんて表現を聞くたびに、何か「可愛らしい」印象を抱いたり、「幼さ」を美化・神格化する向きもありますが、僕はこのように自分の無知さを思ってすごく恥ずかしい気持ちになります。もしくは皆それを「恥じることではない!」と思いたいが為に、肯定する為に、あらゆる「幼さ」を温かい目で見る視線を持つのでしょうか…。
何はともあれ、知識がないからこそ「自由な発想」をすることもできますが、知識を身に付けることによって「強固になる想像力」というものもあると思うのでした。
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