伝えたいと思うこと — 奥山淳志『庭とエスキース』
奥山淳志『庭とエスキース』
読み終えて、一週間ほどしてから再び本を開いて、この最初の一文を目にしたとき、時間が巻き戻されるような、時間を移動するような感覚を覚えた。
この本には目次がない。帯の説明によると24篇から成るのだが、各篇には題も付番もない。弁造さんの伝記ではないので、時系列は整っていない。読んでいると、問わず語りを聞いているような、現在位置がつかめず先の見通せない、かといって不快ではなく、語り手に任せて漂うような感覚がある。
そして、弁造さんの口癖である、「あんたに話したいことがあったんじゃ」、「あんたに言っておかんと思っていたことがあるんじゃ」、「あんたに見せたいものがあるんじゃ」…等々、冒頭の一文の変奏が各所に現れる。
この構成が「時間を移動するような感覚」を生じさせているのだろう。
著者の生きる時間軸があり、弁造さんの生きた時間軸がある。著者の時間軸から弁造さんの時間軸を参照する無数の矢印が引かれている。「あんたに話したいことがあったんじゃ」は、その矢印の始点にあるからだ。
およそ何の有用性もないような事柄であったとしても、そのことを誰かに「伝えたい」という気持ちは、どこから出てくるのだろうか。そして、それを「伝え受ける」ことに、どんな意味があるのだろうか。
写真を撮るということは、《今》を写真という舟にのせて未来に送り出すことに他ならない。
だから、写真を撮りながら、伝えることの意味について考えてしまうのだろう。
畠山直哉『話す写真』
再読のためのメモ
以下は再読のための個人的なメモで、第3刷を基にしている。
1. 3 アカガエル
2. 9 小屋
3. 15 夜盗虫とムクドリ
4. 22 カラマツとオンコ
5. 30 川端画学校
6. 40 プリンス・エドワード島とスイカ泥棒
7. 53 苺ミルク
8. 67 ホームセンター
9. 79 筋伸ばし体操と弁造語録
10. 88 メープル
11. 102 仔ウサギと雪虫
12. 113 蛾次郎寿司
13. 123 出稼ぎ
14. 136 ハロー引き
15. 146 「母と娘の肖像」
16. 159 シニアカーと遺書と入れ歯
17. 172 薪割り
18. 186 墓参り
19. 198 雪ハネと「犬と少年の肖像」
20. 213 震災
21. 225 遺品
22. 238 暗室
23. 250 葬儀
24. 270 花のリレー