「いくよ まってて ともだちに なろう」

このフレーズが好きでときどきくちずさむ。

調べてみたらタイトルは「きてよパーマン」、作詞は藤子不二雄だった。

「行くよ待ってて」というのは、「来てよ」という呼びかけに応答しての「行くよ」である。

パーマンは正義の味方なのだから、「来てよ(助けて)」の呼びかけに「行くよ」と応えるのは当然であるとも言える。

しかし、この応答を「正義の味方だから」とするなら、続けて「友達になろう」と言うのは少しおかしい。

つまりここからは、双方の関係性について、単なる「助けを求める人」と「正義の味方」という関係を超えたものを感じ取ることができるのである。

しかも、「友達になろう」と言う以上は、双方はまだ友達同士の関係には至っていない。

にもかかわらずの、「来てよ」の呼びかけであり、そして「行くよ」の応答なのである。

「正義の味方だから」でもなく「友達だから」でもなく、「来てよ」と呼びかけ「行くよ」と応える。

ここに人間一般(あるいは子ども一般)の中に存在する友愛のような崇高なものを感じるのである。

こんなことは一度うたを聴けば明らかだけどね。