言葉を知る前に見た光景 — 千葉桜洋『指先の羅針盤』

タイトルページをめくると、左ページに短い文章、右ページに写真という見開き。

これが何回か続いて、文章と写真で見る人を写真世界に丁寧に導いていく。見る人のいるフロアと千葉桜のいるフロアをなめらかにつなぐスロープのようだ。

千葉桜は聴覚に障害があり、そのため言葉のない世界に長くいた。主要な被写体である千葉桜の息子は知的障害を伴って自閉症スペクトラムのなかにいて、言葉をゆっくりと習得しているところであるという。

続くイメージは水。川、湖、海、雲、霧。植物。空気の湿り気。何度も現れる「水に触れる手」からは、ヘレン・ケラーの”water”(言葉の概念の発見)を想起する。

写真集を行ったり来たりめくっていると、無音の世界を彷徨っているように感じる。

だから、この写真集の英題"Wander in the Silence"は、千葉桜家族の「巡礼のよう」な道行きのことだけではなく、写真集をめくって見る行為そのことでもある。

既に言葉を習得しているわたしの無音の世界と、かつて千葉桜がいた、また、現在千葉桜の息子のいる言葉のない世界とが接続されるいわれはないようにも思う。

けれども、この写真集を見ていると、このふたつの世界がどこかで交錯する地点があるように思えて、音のない写真集をめくっていくことで、言葉を知る前に見た光景にたどり着ける気がしてくる。

写真(集)ならではの表現だと思った。