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森見登美彦阿呆読書会に参加してきた話。

 初めて読書会というものに参加をしてきた。

 半月前、なにか新しいことをしたいと思い立って、パソコンでぽちぽちと検索をした。できれば人と関わることがしたかった。このところ、会社に行き、帰ってきたらひとりで野球中継を見るか、近所にご飯を食べに行くか。行った先でもほとんど決まった人としか話さないので、これはまずいと思った。

 休みの日はやっぱり野球中継を見て、「今日も負けたわね~」と思いながら酒を飲み、ふと映画を見たりする。この前Amazonで見た『ムーンフォール』という映画はなかなか期待を裏切ってきたのでおすすめです。

 ネットの海を彷徨って、天狼院書店、という書店にたどり着いた。

 怪しい名前。第一印象はそれだけだった。しかし、天狼院書店さんでは読書会というものを開いていた。読書会という文化にはほとんど触れてこなかったが、所謂本好きが集まって、おすすめの本を紹介し合うのだ。

 これはなかなかハードルが高いぞ、と思った。面識のない他人に本を紹介したことも、もちろん、友人にさえ本を勧めた記憶も曖昧なほどだ。色々テーマが決まっていて、例えば「何度も読み返したい本」、「課題本読書会」、「恋の処方箋になった本」など。

 その多彩な読書会のテーマの中で一際目を引いたのは僕がよく知っている作家の名前だった。

 森見登美彦読書会。

 森見登美彦氏といえば、僕が今までで一番読んできた作家と言っても良い。
初めて読書会に参加をするなら、自分がよく知っているジャンルが良い、それが森見登美彦氏の本がテーマとなればなにも心配することはない。
これしかない、そう私のゴーストが囁く、までもなく参加を決めた。(その日のうちに申し込みをした)

 会場の天狼院カフェSHIBUYAは宮下パークにあるカフェだ。以前、休憩に立ち寄ったことがあったので迷わなかった。

 読書会の時間になると天狼院カフェの一角に設けられた談話スペースに続々と人が集まってきた。その時僕が「この人達は森見登美彦の“阿呆”について話にきた“阿呆”な人たちなんだ」と思っていたことはここだけの秘密である。僕も含め、阿呆しかいないことはより安心感があった。

 僕を含めた一般参加者の皆さんは7人、運営側の天狼院書店の方が2人、合計9人の“詩人か高等遊民か、でなければなにもなりたくない”森見登美彦氏の読者が集まった。

 僕がこの日のために選んだ偏屈作家・森見登美彦氏の阿呆本は『恋文の技術』だ。
意中の人を必ず射止める事ができる恋文の技術を開発することを決心した主人公の守田一郎が友人に当てた手紙が、書簡体小説となっている。この本の魅力のひとつは、適当に開いても“阿呆”な話が繰り広げられていることだ。

 森見登美彦氏の阿呆について語る読書会のテーマにはピッタリの1冊だ。

 参加者それぞれが持ち寄った本がテーブルの上に置かれていて、見渡すと恋文の技術を持ってきた他の参加者は僕を含め4人(?)いた。数ある森見登美彦氏の本からこれを選ぶことの共通点というか、似た者同士というか、なにかしらの信頼を感じた。

 他には『四畳半神話大系』、『夜は短し歩けよ乙女』、『有頂天家族』、『太陽の塔』、『宵山万華鏡』など森見登美彦氏の読者ならこれは外せないという本ばかりだった。特に『新釈走れメロス』と『美女と竹林』が出てきたときは本当にこの読書会参加してよかったと思った。

 勝手なイメージだが、そこそこの知名度があるであろう森見登美彦氏の読者にあまり会ったことがない。なにも恥ずべく本を書いている訳ではないのに、不思議と「私は森見登美彦の読者である」と豪語する人を見ない。それなのに書店では毎年のように『四畳半神話大系』がピックアップされ、気がつくと数冊減っている。その光景(主にカドフェス)を見るたびに「あぁ、今年も無事に夏が来たな」と思う。
 京都へ旅行すれば、数ある名所を素通りし真っ先に鴨川デルタと行くような人間ばかりだと思っている。少なくとも僕はそういう人間だ。

 幸いなことに、他の参加者の方が『恋文の技術』についてあらずじを説明してれたので、僕の番になったとき、とても話し始めやすかった。
 今回の読書会に参加するために改めて恋文の技術を再読した。注目したのは著者のあとがきである。

実のところ私は、本物の恋文の技術を確立しております。
しかし今の私には皆さんにお伝えする時間的余裕がありません。
またこのきわめて高度な技術を説明するには、「あとがき」という余白はあまりにも狭すぎる。
『恋文の技術』・森見登美彦

 どこかで読んだことのあるこの文章を頭の中の記憶からなんとか掘り起こして、ある文章のオマージュであると気がついた。

17世紀、フランスの裁判官ピエール・ド・フェルマー(1607年 - 1665年)は、古代ギリシアの数学者ディオファントスの著作『算術』を読み、本文中の記述に関連した着想を得ると、それを余白に書き残しておくという習慣を持っていた。それらは数学的な定理あるいは予想であったが、限られた余白への書き込みであるため、(また充分な余白がある場合にも)フェルマーはその証明をしばしば省略した。
フェルマーの最終定理・Wikipedia

 森見登美彦氏が文庫版のあとがきでこれを引きだしてきたことがものすごくかっこよくて、まさに阿呆だと思ったので読書会の場で紹介できたことがなによりである。

 恋文の技術にはもうひとつ重要なことが書かれている。それは「どんな失敗談にも教訓を求めてはいけない」ということだ。僕にも忘れたい失敗談は数えればキリがないくらいある。そこから何も教訓を求めないようにはしている。
 しかし、主催の天狼院書店さんは読書体験の先を提供してくれる素晴らしい書店です。ときには教訓を求めるのも良いでしょう。

 参加者の皆さんが森見登美彦愛に溢れていて、予定されていた1時間半があっという間だった。会の後もそれぞれが森見登美彦氏の小説以外に普段なにを読んでいるかの話になった。カフェの閉店ギリギリまで残って話し込むことができるのも、主催がカフェ併設の書店である強みであると思う。

 アガサ・クリスティーを読む人、時代小説を読む人、SFを読む人(これは僕)普段自分が読む本以外の好みを知れるのは大変有意義なことだと思う。ネットで書評を読んだくらいでは、よし読んでみようという気持ちにはならない。しかし、初対面であれ何であれ、「アレよかったよ」という一言のほうが読もうという気持ちが沸き上がってくる。

 村上春樹は「すべての作家が影響を受けている」、「ちょっとおしゃれな文章を書けば村上春樹のオマージュ」と話を聞いて、読んでみたくなった。

  • 海辺のカフカ(村上春樹)

  • 1Q84 (村上春樹)

  • オリエント急行殺人事件(アガサ・クリスティー)

 上記は次読んでみる候補に留めて置くことにする。

 初めて読書会というものに参加をして、森見登美彦を読んでいる他の読者に会って話す事ができたのはとても有意義だった。参加した他の方も僕と同じように今回が初めての読書会参加という人もいて読書会ビギナーの僕にとってはまた別の会にも参加してみよう気になった。
 もちろん、参加慣れしている方や主催店舗の方は話慣れている感じしてあんな風にうまく話して、誰かの読書体験を変えるほどの本を紹介できるようになれれば、と思った。

森見登美彦読書会・天狼院カフェSHIBUYA

 普段は渋谷にはほとんどこないので行動範囲を広げるキッカケにも慣ればと思う。

 次回も森見登美彦氏関係の読書会やそれに関するイベントごとがアレば参加をしたい。それかテーマを絞った読書会とか。他にも天狼院書店さんでは20代の人が集まる読書会も開催しているみたいなのでそれにも参加してみたい。

 初めて参加した読書会。参加するまで、そのハードルが高いと思っていた。しかし、実際参加してみるとそのハードルは、膝下低めギリギリいっぱいのストライクゾーンくらい低かった。

 明日は神宮球場に野球を見に行って来ます。

 余談ですが、ペンネームの西木眼鏡は森見登美彦氏の『宵山万華鏡』で万華鏡のことを錦眼鏡と言うことを知り、そこから名前っぽく漢字を変えて使うことにしました。

オマケ
会場に行くまでに時間が合ったので渋谷スクランブルスクエアをブラブラしていた。あの建物はオシャレな人しかいないすごい空間でした。
 ふと、化粧品?雑貨店?の前を通ったときにめちゃくちゃ好みの音楽が聞こえてきた。Yin Yinというオランダのバンドの曲だった。東アジア音楽を取り入れていて、どこかYMO的な音も聞こえてくる。東風とか千のナイフとか。
 街中や店内でふと聞こえてくる好みの音楽を調べる事がある。オススメはカフェチェーンのドトール。あそこの音楽センスはすごくいい。

ではまた。
西木眼鏡


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