【思い出】子どもに怯えて、子ども食堂のボランティアから逃走した話
今日起こった話です。
私は、学校の講義の一環で「子ども食堂」のボランティアに行かなければなりませんでした。
子ども食堂とは、地域の人たちが中心になって、無料または低価格でご飯を食べることができる場所のことで、近所の子どもたちがたくさん集まる安心の場です。
そんな楽しい場である子ども食堂に、本日、私はボランティアとして参加する予定になっていました。
だからといって、ブルブル震えながら過ごしたわけではありません。
子ども食堂へ行くことが決まった日から今日まで、私は微塵にも不安や緊張を抱いていませんでした。
それは当然でしょう。
可愛い子どもたちと楽しく食事ができるというのに、何を不安に感じることがあるのでしょうか。
子ども相手に怯える人間など、軟弱者です。
私は存在しない架空の弱者を鼻で笑い、慈悲のこもった笑みで、ボランティア参加にサインしました。
わくわくした気持ちのまま迎えた当日。
時刻は日が傾き始めた夕方の五時頃でした。
私は、気の弱い友人と二人で、指定された子ども食堂に歩いて向かいました。
夕暮れ前の時間は車どおりが多く、道路はエンジン音で喧しく響いていました。
風が荒々しく吹き、緊張した心中で歩いていたのですが、気がつけば夕焼けに照らされた「子ども食堂」の姿が遠くに見え始めていました。
ようやくついた。
頑張ろう。
私が唇をぐっと結び、意気込んだその時でした。
私たちの背後から、甲高い声が近づいてきたのです。
振り返ると、それは全力ダッシュの姿勢で走っている子どもで、私たちの前を目にもとまらぬ速さで通過し、そのまま子ども食堂にドリフトして入っていきました。
しかも、それは一人や二人ではありません。
無数のエネルギッシュな子どもが、塊のように子ども食堂に入っていったのです。
ニュージーランドのラグビーを思い起させるような一糸乱れぬ動きは、私たちに絶望と恐怖の種を植え付けました。
その種はむくむくと肥大化し、私は心臓が締め付けれられるようなストレスを感じました。
私は非常に気が弱く、知らない「人間」に対して過剰に警戒してしまう気質があります。
子どもにも怯えるんかい。
びくびくと震える己にため息を吐きつつ、私はゆっくりと友人の方を向きました。
「頼む、助けてください」と、すがるような視線で友人に助けを求めたのですが、友人の足は止まり、全身は脱力し、いかにも戦意喪失した様子でした。
こんなの、私たちの手に負える相手じゃない…
敵前逃亡を決め込んだ私たちは、思考のまとまらない不安定な感情を押し殺しながら、速足でその場を後にしました。
息は乱れ、視線は定まらず、ただ「今すぐに離れること」のみを追求した私たちの歩行速度は、常人には到底真似できるものではありませんでした。
帰宅後、私は罪悪感と無力感、そして恐怖感に包まれました。
先方に連絡は入れたものの、いまだ動揺と興奮が収まらず、おもむろにnoteに書きなぐりました。
この「恐怖の宴」は、恐ろしいことに来週もやってきます。
それまでに私たち二人は、強い意志と、ゆるぎない覚悟を獲得しなければならないのです。
迫りくる絶望と重圧と申し訳なさ。
まずはファーストステップとして、気の強い堂々とした友人を確保する必要がありそうです。