【思い出】教科書を忘れてスクワット200回させられた話
中学校の頃の話です。
私が在籍していた中学校は、当たり前みたいに荒れた学校でした。
授業を聞いている人は少なく、ましてや授業を理解している人なんてのは天文学的な確率でしか存在していませんでした。
離島という環境においては、これは仕方のないことなのかもしれません。
私は、島の外の環境を全く知りませんでした。
学校の授業をどのくらいちゃんと聞かないといけないのか。
どのくらい勉強できないと「ヤバい」のか。
塾が無いということが、どれだけのハンデなのか。
私は全く知りませんでしたし、知ろうともしていませんでした。
これは私以外の同級生たちにも、だいたい同じことが言えました。
要するに、私たちは「井の中の蛙」だったのです。
そんな良い環境なのか悪い環境なのかも分からない、日本版アルカトラズのような環境では、全員が独自の進化をとげていきました。
例えば、授業を受けている人々の態度を例に挙げてみましょう。
革命家のような目つきで先生に反抗する者。
鋼のような意思で、手遊びに命を捧げる者。
ハシビロコウよりも動かずに居眠りする者。
まさに多様性の湧き出ずる島。
ガラパゴス諸島など何のその。
ダーウィンがこの光景を見たら「私には手に負えません」と泣き言を言ってしまうほどの惨状でした。
そんな魑魅魍魎が胸を張って歩いているような環境。
私も例にもれず、ハシビロコウ顔負けの居眠りを全授業でかましていました。
しかし、ここは法治国家。
教育的にはもはや犯罪者のような私たちを、優秀な公務員が黙って見ている訳がありませんでした。
そう、軍隊顔負けの「学校の先生」が私たちの島には派遣されているのです。
今思えば、彼らはきっと私たちを真っ当な人間としては扱ってはいませんでした。
そう思わせる出来事は、私たちの学校生活にはちりばめられていました。
ある晴天の日、私たちは社会の授業を受けていました。
蝉が外でミンミンと鳴き、窓際からは日の光が差し込んでいました。
私たちの学校にはクーラーがなく、窓を全開にして授業をしていました。
さて。
授業が始まると、私たちは決まって先生の前に集まりました。
そして、皆が口をあわせて言うのです。
「教科書忘れました。」
授業を聞かない私のような人にとっては、教科書を持ってくるかどうかなんて、些細な差でした。
故に、何の罪悪感もなく、先生に報告することができました。
しかし、学校の先生はそんなことを許すはずがありません。
特に社会の先生は非常に気難しく、「恐怖」と「冷徹」による統制を得意としていました。
社会の先生は、私たちの「忘れました」に対して、顔色を1ミリも変えませんでした。
そして、その先生は唇を僅かに動かし、低い声で言いました。
「じゃあスクワット200回。」
うん?
スクワット200回?
私は何のことか分かりませんでした。
何を言われたのか分からず、しばらく身体が動きませんでした。
「ほら、黒板の横に立て。」
私は言われるがまま黒板の横に立ち、言われるがままにスクワットをしました。
キーンコーン、と授業の鐘が鳴りました。
授業が始まったのです。
スクワットをする私たち。
「それでは教科書52ページを開いてください」
先生が言いました。
その間もスクワットをする私たち。
「それでは今日は室町時代からです。」
スクワットをする私たち。
「鎌倉幕府は1333年に滅亡しましたね。」
スクワットをする私たち。
「そして、建武の新政が始まりました。」
スクワットをする私たち。
このとき、私は悟りました。
もう忘れ物は止めよう、と。
このような経験は、やはり思い出すと恥ずかしいものです。
しかし、「どこからが許されない範囲なのか」というライン引きをこのような経験から学んだとも言えます。
当時の先生には大変な迷惑をかけました。
私の両足の筋肉にも迷惑をかけました。
しかし、こんなことはもう経験したくない! と思えるからこそ、今の自分自身の行動があるとも言えます。
善悪を二項対立で考えるのは良くありませんね。