山を越えて父は
「若いころ、死のうと思って放浪したことがある。」
父からその言葉を聞いたのは、10年ほど前だった。しかし、そう語るテーブル越しの父は、頬を上気させながら気持ちよさそうに酒をあおっている。突然の告白と、眼の前にいるご機嫌な父の姿は、結び付けるのがあまりにも困難だ。当時の私は、それを酒の勢いで膨らませた話だと思い、軽く受け流してしまった。
そしてその告白から数年後、ちょうど70歳を目の前にした父の体に異変が見つかった。「悪性リンパ腫」、いわゆる血液のがんである。父の首に現れた腫瘍は、日を追うごとに大きくなっていった。不幸中の幸いか、がんの進行度合いはそこまで深刻なものではなく、しばらく経過観察などを行った後、薬物療法を選択した。
治療はつつがなく終わった。この記事を書いている2021年1月現在、退院から1年以上経過している。退院後は、1日1万歩のウォーキングに精を出したり、趣味のクラシックギターを楽しんだりと、老後の人生を謳歌しているように見える。
しかしながら、父のがんは完治しておらず、あくまで「寛解」という状態だ。5年以内に再発する確率は非常に高いと言われている。予後の暮らしぶりを見る限り全く想像もつかないが、もう一度がんと向き合う日はいずれやってくる。
■後悔すれども踏み込めず
再発後の治療方針については、私を含めた家族全員が父の意志を尊重するつもりでいる。しかし、私はそのような状況を迎える前に、どうしてもあの時の話をしておきたいと考えていた。
思い返してみると、父が酔って昔の話をするのはそう珍しいことではない。若いころに友人たちと朝まで飲み歩いた話、近所の食堂で食べたご飯の話、そういった思い出は幾度も聞いた。だが、明確に「死のうと思った」と語ったのは、あの時の一度きりだ。あの酒の席で自分が選んだ対応は間違っていたのではないか。私は強く悔やんでいた。
そんな後悔する気持ちはあれど、何も行動を起こさないまま年月が経っていた。改めて若かりし日の「父の死」に向き合おうとすることで、父に死を強く意識させたり、古傷をえぐってしまったりして、残りの人生に影を落としてしまわないだろうか。どうしても不安な気持ちがぬぐえなかったのだ。
また、父が心の底に封じ込めていた昔話を、好奇心や興味本位で聞き出そうとしている気持ちがどこかにあるのではないかという疑念、そしてそんな自分に浅ましさのような感情も少なからず抱いていた。
向き合うべきか、忘れたふりをすべきか。堂々巡りを続ける自分の背中を押してくれたのが「人生会議」である。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02783.html
(参考:厚生労働省「人生会議」してみませんか)
■踏み込めども腰が引ける
今まで、父がもしもの事態に陥った場合のことを家族間で話し合ったことはほぼない。がんの治療という大きなライフイベントを経てもなお、私たち家族は「なんとなく先延ばし」という選択をとった。しかし、いつまでも目を背け続けるわけにはいかないこともわかっていた。
ただ、元気に歩き、趣味に興じ、年を感じさせぬ健啖ぶりを見せる父の姿は、あまりに死が連想できない。「遺言」のような形式ばった方法で残すのはやはり違和感がある。そんな時、「人生会議」を知った。父が大事にしていること、望む医療やケア方法について家族同士でシェアするやり方は、私たちにとってちょいどよい温度感のように思えた。
早速父に電話し、「人生会議」とはどのようなものか、いろいろ調べてつなぎ合わせた情報をもとに説明した。話し合う機会をもらえないか頼んだところ父は快諾し、その日のうちに時間を作ると言ってくれた。
しかし、電話を隔てた私は、父の協力的な姿勢とは裏腹に若干の後ろめたさを感じていた。「人生会議」はあくまで呼び水で、その先に自分の後悔を清算したいような感覚が消えていなかったからだ。
父との話し合いはビデオ会議で行うことにした。私たちは離れて暮らしているものの、片道1時間程度の距離なので直接会う選択肢もあった。しかし、そうはしなかった。対峙することで自分に潜む浅ましさを気取られるのでは、という不安が私の中にあったのだろうか。
また、話はお酒を飲みながらにしようとも提案した。かつての状況を再現しようとか、酔いに任せて話を引き出そうとか、そういう下心が全くないとは言えなかった。
今にしてみれば、それが後ろめたさを生んだ原因だったように思う。
ともかく、賽は投げられた。その日の晩、父と話すことになった。
■そして、一歩前へ
「実は、もしもの時のことはあまり心配してない。」
父は開口一番、率直な思いを語った。遺産の整理なども含めたいわゆる終活について、なんとなく必要性は感じている。しかし、現在の心身の状況などから、強い不安は感じていないという。その後も話は続いたが、父の終活に対する思いや再発後の治療に関する話題は思いの外すぐに終わってしまった。何かまだ語り尽くせていないような締まりの悪さを感じていたものの、次の句が出てこない状況に陥った。
父はもしかすると、私が聞きたいことは他にあると気づいていたのかもしれない。巡らせた思惑が父に見透かされているような気持ちになった。呼び水で満たされたはずの井戸は早々に干上がり、残ったわずかな水を絞り出すように、
「お父さんは『死ぬ』ことについてどう思っているの?」
と私は尋ねた。
すると父は、「少なくとも、若いころは2000年まで生きてるとは思わんかった」と、その質問を想定していたかのように間髪入れず答えた。
いわゆる団塊の世代の生まれである父は、若いころ職を転々としてお金に困ることも多々あった。目の前の生活が全てで、何十年も先のことはとても意識できなかったという。
これまでに何度も聞いてきたこと、初めて聞くこと、父はいろいろなエピソードを語った。そして、それらをつなぎ合わせる限り、若いころの父はそれなりに気が短い性分だったのだなと改めて感じた。
しかし、自分がこの目に焼き付けてきた父は、そして画面越しに思い出を語っている父は、それとは対照的にどこか達観したような柔らかなたたずまいをしている。感情が荒れることはないでもないが、基本的には凪である。
私は父の話を聞きながら、まだ幼い時に父の職場で開催されたバーベキューに連れていってもらった記憶を思い出していた。その集まりの後半、参加者の間でつかみ合いのケンカが起きた。飛び交う怒号、もみ合いで割れるグラスの音、ヒリヒリとした空気感に私は恐怖した。
すると、父が平然とした様子で仲裁に入り、気が付けばその場を収めてしまった。その光景を今でも鮮明に覚えている。それを見た私は、凄みと畏れが混じったような複雑な感情を父に対して抱き、そしてその感情を今でも引きずっているように思う。
記憶と感情を反芻している間にも、父の話は続いていた。
改めて語られるかつて父の姿と、今目の前でそれを語る父の姿は、やはりどうしてもかみ合わない。気が付けば、父が現在のたたずまいを得るに至った過程と、あのエピソードとは無関係ではないという確信が頭を支配していた。
そして今度は、対話の前に感じた後ろめたさが再び現れることはなかった。父が封じていた過去の記憶を自ら語ることで、淡泊に話が畳まれ、霧の中に隠れてしまった父の本音を知ることにつながるかもしれない、むしろそう思うようになっていた。
「昔、死のうと思って放浪したことがあるって言ってたよね?」
私は踏み込むことにした。
■山を越えて父は
「自暴自棄になって、全部どうでもよくなった。」
父は嫌がる素振りを見せず、記憶をたぐり寄せるように話し始めた。
20代後半のころ、父は友人と立ち上げた仕事のいざこざなどが理由で人間不信に陥る。そして両親の死も重なり、何をやっても上手くいかないような感情に囚われていたという。
そして父は、車に乗って当てのない旅へ出た。コインの表裏で進む方向を決めていたくらい何の計画もない旅路だった。そして、良い死に場所があればそこで人生を終えてもいいと考えていた。
その時のことを本人は自嘲気味に「覚悟がなかったから死ねなかった」と語っている。それはその通りなのかもしれない。しかし父は、いくら走っても死に場所が見つからず、山を越えては下界に戻ることを繰り返すうち「結局どう走っても道はつながっている」と感じて、旅を終えることにしたとも語っている。
例えば道中で生命の神秘に触れたのでもなく、死ぬことに強い心残りを感じたのでもなく、父は死ぬことをあきらめ、結果的に生きることを選んだ。父から垣間見える深淵のような何かは、この諦観によって生まれているのだろう。私は不思議なほど合点がいった。
そして父はその後、知人の紹介で運送会社に就職。定年退職までトラックドライバーとして勤めることになる。仕事を得たという安心感と、重労働ながら日々汗をかくことで報酬を受ける達成感、これらを得たことが人生の大きな転機だったと父は語る。さらにその数年後には母と出会い、私たちが生まれることになる。
■父の背骨
生きることに疲れ、道に迷い、死ぬことをあきらめて、ようやく得た「安心感」と「達成感」。これが背骨となり父の人生を支えている。そしてその感情で満たされていることが、父の幸福そのものである。一歩踏み込んで向き合ったことで、今まで感覚的に受け止めていたものを言葉にすることができた。
父の終末を考えるとき、それを脅かすものに注意を払わなければならない。「どうすれば安心できるか」「何をすれば達成感を得られるか」、その時が来るまで家族で少しずつ考え、話し合い、積み上げていきたい。
父との対話を終えるころ、決心に近しい感情が自分の中で確かに芽生えたことを、私は晴れやかな気持ちとともに感じていた。
最後に、「やっておきたいことはある?」と聞いてみたところ、「温泉に入って美味しい料理とお酒を楽しめたらいいかな」と父は笑った。世情が落ち着いたら是非行こう、と返して話を終えようとした。
すると父はポツリと「あとは・・・、孫が見たいな」と言った。そうか。そうだよな。もうあなたの息子もいい年だ。しかし、こればかりはお相手がいない以上なんともならぬ。なんと答えるべきか窮しながら、温泉旅行の計画に話を逸らすべく、私は全力で考えを巡らせた。