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[おぐねた]昔なつかしパソコンとーーーく 〜 PC98編 その3(全3回)

DOS/V はじまる・・(どすぶいだよ)

当時 NEC 全盛で9割ぐらいは NEC の PC98 シリーズというパソコンでした。
いまでも値段が言える PC9801 DA2 が448,000円(定価)でしたが、91年3月に日本 IBM がアメリカの安いPC(今の HP やらデルやら)が使える画期的な日本語の OS を発表しました。

これは従来の NEC が本体の中に漢字 ROM という日本語を表示できるハード機器をもち、ワープロや表計算ソフトを圧倒的なシェアの元に独占していたのに対して、 DOS/V というマイクロソフトの DOS にソフトウェアだけで日本語を表示できるようにしたものでした。
当時の PC のスペックは低く、画面にソフトだけで日本語の「あいうえお」のような文字を表示するのは大変だったのですが、最新の i386 の CPU では高速で表示することができたのです。

これにより海外のソフトを簡単に日本語に移植することができるようになり、当時の PC 雑誌は鎖国が解けたということで価格の大幅な削減となりました・・
自分も93年に DOS/V の富士通の PC をよりによってセットではなく(当時デスクパワーという名前の一太郎セットとかマイクロソフトセットとして販売していました。名付け親は当社でした。)、バラバラで大金かけて買ったのでした。

※当時、富士通にはオアシスモデルというのがあり、キーボードに親指シフトキーボードというものがありました・・これをセットアップしてくれ!という要望のために地獄をみましたが・・

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・SCSI の4倍速 CD-ROM
・サウンドステレオを実現できるサウンドブラスタープロ
・19インチ 重さ15キロの 1024×768 を表示できるブラウン管ディスプレイ
 
これらを メモリー8MB と併せて40万円近くで購入しました。

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これを自分で設定をしたのですが、ウンともスンとも言わない・・
これには焦りました・・
40万円がパーになるか・・
徹夜をしたあげく、単に設定の書き方が逆だったのとカードの位置が逆だったことが判明。

やはり人間自腹で地獄をみることでのみ成長ができることを痛感したわけです。

一号機( NEC )と比べて圧倒機に速い Windows マシン(当時は3.1)として、98年までは現役でした。最後はバラバラになっちゃったけど・・

PC98編はこれにて終わり。次はいよいよ「Windows 3.0 の衝撃」のお話。

投稿者:おぐたん

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PC が仕事で使われる前の90年に70名程度だったソフトクリエイトに転職。MS-DOS からWindows・Network・Mac・Linux と PC の進化に応じて30年近く様々なソリューション製品を販売する商品の生き字引。現在は営業の知識と技術の知識を生かして顧客先にいろんな製品を提案する営業を推進する部門に所属。
趣味は広く歴史・軍事・戦史マニア・ガジェットおたく。その中で愛する千葉ロッテマリーンズに1983年以来実に観戦数1,000試合以上、日本の球場を古今東西南北70球場で見たというオタク。残る県は宮崎・大分・福井だけだという話。本人曰く勝つのがわかっているようなチームには愛着も勝たせるための努力も工夫もないからつまらないとのこと。


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